リイン&ジェイクシリーズ
〜闇の貴公子〜
1
「リィン、帰ってるのかっ!?」
ここガーディアンの総本部に隣設する総司令居住区の一角のドアが勢いよく開け放たれた。
「あぁ、お帰り、ジェイク。」
「お帰りじゃないっ!!今度の依頼どうして受けたんだっ!!」
一応夫婦になった今、この部屋は二人の愛の巣になるはずだった。しかし...お互いが留守を繰り返し、新婚初日以降二人してともに寝所で朝を迎えたことがなかった。あれほど依頼を受けるなといっても、ガーディアンのチームSでも引っ張りだこのこの女性ガーディアンは依頼を断らない。新婚ほやほやの夫である自分と一緒にいたくないのかと疑ってしまうほどだ。
「うむ、仕方ないだろう?女性で身辺警護が出来て、その上あの我侭皇女様相手に逃げ出さないものといったらなかなかいないんだよ。おまけに今回は多額の依頼料の上乗せがあった。わたし指名でね。」
「けれども、また何言われるかわからないぞ?」
「もう大丈夫だろう?あちらも無事婚約式を済ませられたそうだから...」
落ち着いた口調のリィン・クロス、いやもうリィン・クロス・ラグランを名乗っている。俺が未だに焦がれてやまないもっとも愛しい妻だ。とはいっても顔を合わすのは6週間ぶり、その時も帰ってきた彼女と依頼を受けて出て行く俺のチームと入れ違いで、物陰に引きずり込んでキスしただけで別れてしまった。それからはもう脅威のスピードで依頼を片付けて飛んで帰ってきたというのに、次の依頼でもう立つというのだ。くそう、そんなことさせるもんか!その依頼の相手というのが因縁深いシルビア皇女の訪問先までの護衛だというのだから余計にだ。彼女は前に俺に気があって、その時からリィンにはかなりひどく当たっていたはずだ。
愛しい妻をそんなところにやれるかよ!誰かかわりを探すか、自分が付いて行くかしたかった。なのに俺にも指名で護衛の仕事が入っていた。俺が行けば、メンバーはチームB以下でもチームA並みに支払うというのだ。
「リィン、久しぶりに逢えたんだ...出発は遅らせられないのか?」
俺はまだ旅装束のまま彼女に近づきまだ鎧や手甲などをつける前の薄着のままの彼女の腰を引き寄せた。銀の髪がさらりと流れ、アメジストの瞳が俺を見つめる。それだけでおれはもう身体や心のコントロールを失ってしまうのだ。キスしようと近づけた顔を押しとどめられてしまう。
「これでも遅らせたんだ...チームを組んだルロイやジェンダはもう先に出発したんだ、わたしは後からグロウで追いかけるからっていって。でももうそろそろ出発しないと間に合わないんだ。」
向こうには中継班もいるはずだが、ガーディアンは滅多に単独依頼は受けない。必ずチームを組む。
「いやだね!せめて明日の朝まで出発を伸ばせられないのか?」
「グロウに無理させてしまう...」
「それでも、リィンは平気なのか?夫婦になってから3ヶ月、まともに同じベッドで眠ったこともないんだぞ?6週間前はキスだけで初夜以外未だに俺はリィンの身体に触れることすら出来なかったんだぞ?!」
つい熱くなった下半身を押し付けてしまう。そんな俺から逃れようとリィンは少し暴れて見せた。
「ジェ、ジェイク...おまえ帰ってきてから風呂にも入ってないだろう?匂うぞ?」
「そんな暇があったらおまえを抱きたい。風呂に行ってる間に出発する気なんだろう?」
「ジェイク、わたしはそこまで意地は悪くないぞ?わかったよ、出発は明日の朝にするよ...それでいいか?」
あきらめたように、けれど優しく女の顔で微笑んでくれた。
「あぁ、リィン!愛してるよ!だったら...」
明日の朝まで時間があるのなら焦ることはない。けれどもう片時も離れたくない。嫌がる彼女を部屋の風呂場に引きずり込んだのは言うまでもない。
「ジェイクの馬鹿!なにを考えてるんだ...」
「なんにも...ただリィンが欲しかったんだ。」
「もう、いい加減離れろよ。朝までどこにも行かないと言ってるだろ?」
散々湯船の中でリィンを堪能したくせに、まだ離れる気がしなくて腕の中に閉じ込めたままだった。ちょっと無茶したせいかのぼせた顔したリィンはいつにも増して色っぽく、もう一度ベッドに押し倒したいほどだ。
「ジェイク、さっきアイリーンさまに夕食を誘われてるのを忘れたのか?もうそろそろ用意して行かないと間に合わないだろう?」
リィンが出発を遅らせると聞いたとたんこれだ...久々に4人揃ってというが、俺はリィンと水入らずで過ごしたかったんだ...まあ、食事を忘れそうな勢いだったので助かったと言えばそうなんだが。けれども...
「うーっ」
仕方がない。食事の間だけだ...食事が終わったら、次はリィンを食べつくしてやる。心の中でそう叫んだ。
珍しくドレスアップしたリィンが隣で穏やかに食事をしている。その間も落ち着かない自分がいた。食事が終わってからもリィンを引きとめようとする母上をひと睨みして部屋へと急ぐ馬鹿みたいにムキになってる自分がいた。
「馬鹿ジェイク、最初っから明日にするつもりだったんだ。このドレスだって前に約束してただろ?おまえの前で着てやるって。」
廊下を歩きながら組んだ腕に少しだけもたれてくる。髪を軽く結い上げて、細い紐でつるされた胸の開いたドレス、薄い紫の光沢のある布地は彼女の体のラインを正確に表現していた。覗き見れる胸の谷間に俺が先ほどつけた口付けの痕が生生しく残ってしまった。こんなドレス、絶対着てくれないと思ったのに...俺の前でだけ見せるリィンの可愛らしい顔を独り占めしてかるくキスをする。
「でもそれ、すぐ脱がすけど?」
それを聞いたリィンが真っ赤になって下を向いた。
俺の激しい食事が終わったのは夜半過ぎだった。嫌がってた割に馴染み始めたリィンの身体は十分すぎるほど反応を示してくれた。朝まで腕から離す気はなく、逃げるように背を向けた彼女の身体を抱きかかえると彼女の体のぬくもりに安堵しながら朝まで眠った。
「行くのか?」
空が明るくなりかけた頃、腕の中のぬくもりがするりと抜け出ていくのに気が付いて目覚めた。
「あぁ、心配するな。ジェイクも任務頑張れよな。明日出発するんだよな?」
「いや、今日出発する。さっさと任務を済ませたらそっちに合流するから、まってろよな?」
「そんな...」
無茶を言ってる。リィンはただ苦笑しただけだったけれど俺はそれを実行してしまうだろう。あまり自分の力以外は使いたくなかったが仕方がない。総帥の親父殿や副総帥のギルに皮肉言われても、そのあたりの予定は捻じ曲げてやるさ。
4日後、商人をせっつかせて護衛の仕事を終えた俺は、一番近くの中継地点のでリィンが行方不明になったという報告を聞かされた。
グラナダもそうだが協力国や街にはガーディアンの中継地が設けられている。武器に食料はもちろんのこと急ぎの仕事のために足の速いトルバや、身の軽い伝令係が常駐している。リィン行方不明の報はグラナダからここ、俺の仕事のケンルッドの街の中継地まで直で来ていた。その事の異常さに俺は帰りを急いだ。疲れきったトルバを交換して全速力でグラナダまで駆けていく。途中トルバが倒れそうになった時グロウが俺を迎えに来た。すでにグラナダ近くだったとはいえ、これはリィンにとって一大事を示す。グロウもリィンの気配が感じられず、近づいてくる俺の気配に引き寄せられて来たという訳だからだ。おかげで早くにグラナダに着いたが、そこにはガルディスが先に来ていた。リィンの秘密を知っているからこそ、彼でなければ、他の人間では俺のサポートにもならない。
「おばばさまは?」
「リィンの代わりという形で呼び寄せた。明日には着くだろう。ジェイクは早かったな。」
おばばさまはまた気に入った国で長期契約を結んで居座っていた。もちろんその契約の中に急を要する本部の召還に応じるといったことが盛り込まれている。それを飲んでも契約したいと言う大国は後を絶たない。あれでおばば様もお抱えとしては便利で超人気なのだ。
「グロウが来たからな。けれどもおかしいな、グロウはたしかにリィンをここグラナダに送り届けたみたいだぞ。」
俺は先に中継所の方に顔を出したが、リィンは直接王宮のほうへ行ったらしかった。チームのメンバーがすでに王宮に入っていたからだ。なのにチームの誰もがリィンの姿を見ていない。
「考えられるのは王宮内で囚われたってことだな。」
「となると、最初からこの依頼は罠だってことになる。」
相手がシルビア皇女じゃな...考えられるさ。だからやめろってっ言ったんだ!
俺は略式の正装に着替える。こうなったら皇女に直接謁見するしかない。
「な、ジェイク、俺の情報じゃシルビアはもう婚約者に骨抜きらしいんだがな。」
「婚約者って言うのはどんな奴なんだ?あのシルビアの相手を買って出るなんて、奇特な奴だよなぁ。」
「それがな、ここの中継所の者にも聞いたんだが、なかなかの人物だが謎の部分も多いらしい...」
「なんてやつなんだ?」
「カイン・フィルナンデス、黒髪、黒目、着てる物も黒ずくめだそうだ。出自は不明らしいが流れ者の学者で、たまたまグラナデ王国に立ち寄った時に、なんらかのつてで文官の末席に着いたらしい。なかなかのやり手であっという間に出世してシルビア皇女の面前に出た時に、皇女が一方的に一目ぼれしてあっという間に婚約者だそうだ。」
「大丈夫なのか?そいつは...」
「頭は切れるらしいぜ。なんせ文官10人分の仕事は軽くこなすし、なかなかの美丈夫だそうだ。相変わらず面食いってとこかな?あのお姫さんは...」
「はぁ、成長してない訳か...しかし王座狙いでどこの誰ともわからない奴をあの大臣どもがよく婚約者に迎え入れたな...」
「それもおかしなとこなんだ。俺は裏から調べるよ、ここを開いた時の役人のつてもある。ジェイクは正面から当たってくれないか?俺のめくらましになるしな...」
俺は単身王宮へと向かった。
「ジェイク・ラグラン、ようこそわがグラナデへ!」
上機嫌で俺を迎えたのはシルビア皇女だった。相変わらず見た目は派手派手しく着飾ってはいるが、少し雰囲気が変わったかな?線が丸くなったというか...確かに奇麗になった。以前よりも...恋する女って訳だな。
「お久しぶりです。シルビア皇女、このたびはご婚約されましたそうで、おめでとうございます。」
「ありがとう、紹介するわ。私の婚約者カイン・フェルナンデスよ、ジェイク。」
紹介され、表舞台へと出てきた彼は息を呑むほどの美しさであった。男の俺が美しいと思えるのだからたいしたものだ。漆黒の髪は長く絹糸のように艶やかに波打って腰まで流れている。闇をたたえた黒曜石の瞳は知性をたたえ、女と見まごう白い肌に薄く赤い唇。これで身長が180フィーを超えてなかったら確実に間違うであろう。その体躯は意外とがっしりしており、華奢な印象はなかった。その隣にうっとりとした表情のシルビアが並ぶ。
「はじめまして、ジェイク・ラグラン殿。ご高名とご活躍のほどは伝え聞いております。」
落ち着いた声がしっとりと響いた。不思議なイントネーションをもつ声だった。
「このたびはご婚約おめでとうございます。シルビア皇女、カイン様」
「ジェイクこそ、ご結婚おめでとうございます。リィンは元気ですか?」
「え?シルビア皇女、あなたの申し入れでリィンはこちらに来たはずなのです。契約の書も残っています。それをご存じないとは!!」
「わたしは聞いてないわ。カイン、どういうこと?」
シルビアが眉を寄せながらも甘えた声音で愛しい婚約者に話しかける。
「申し訳ありません、シルビア、あなたが明日からジャネルへ向かわれるのにわが国の警備だけでは心配と、私が呼び寄せたのです。ガーディアンのリィン・クロスと言えば女性でも腕利き、あなたの警備にこれ以上の方はいないと思っていたのですが...ジェイク殿、リィン殿はこちらにはまだいらしておられませんよ?」
「そんな馬鹿な!この国に入ったのは間違いないのだ、確認して欲しい。」
「本部の方からもそう問い合わせてこられましたが、誰もリィン殿をお見かけしてはいないのです。」
おかしいと思った。まずシルビアが知らなかったこと、彼女は我侭なお姫様だけど嘘はつけない、いや、いままでつく必要がなかったから...けれどこの目の前の男、カイン・フェルナンデスはシルビアとリィンの確執を知らなかったのかどうかわからないが、そのあまりにもあっさりした返答に胸が騒いだ。
この男はにっこり笑って嘘のつけるタイプだ。シルビアはその見た目にすっかりと翻弄されてるみたいだが、なによりもこいつはシルビアに恋してる目をしていない。恋する男の振りはしてるがな...
ではいったいリィンはどこへ行ったんだ!?
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