リイン&ジェイクシリーズ
氷の花〜IceFlaower〜外伝

前編

出合った瞬間に恋に落ちるということが、実際自分の身の上に起きるとはおもわなかった。
その気持ちがお互いに通じ合っていることを疑うこともなく...。
ただその気持ちの示すままにその人の手を取ってしまった。
それがその人にとって、すべてを投げ出すこだと判っていても。
止めることの出来ない激しい己の感情に総てを委ねて...


私の名はザナックス・ヒルブルクス。皆はザックスと呼ぶ。
25歳、職業はガーディアンである。性格はいたって真面目。頑固者とも言われてる。
ガーディアンの仕事は護衛が主たる依頼が多いが、たまには探検隊や探偵のような仕事も舞い込んで来る。なんでそんな仕事を選んだのかっていうと、小さいながらも王国制をとっていた自国を、親父殿が一国を預かる宰相の身でありながら、王位継承権が自分に回ってきたとたんに、いきなり国を解体して営利企業団体”ガーディアン”にしてしまったからである。この親父ってのが飄々としてて息子の私でも掴み所がない。女好きでだらしないと思えば、誰にも有無を言わさない政治手腕を見せつけられる。親父の趣旨にそのまま賛同して、仕官学校に通っていた私はガーディアンとなったって訳だ。まあ元々の国性とも合っていたのか、軍人のほとんどがそのままガーディアンになったし、生活は潤いガーディアンを希望するものは後を絶たない。
 今回の依頼は巷で噂の<銀の王国>を探せというものだった。
平常ではこういった依頼は受けないものだが、総帥でもある親父殿が「噂を利用しての組織の強制労働の人集めの可能性もあるしな。お前行ってくれば?」といった気まぐれで受けられた依頼である。事実以前に親父殿が出くわした事件でそのようなものがあったらしい。その時は潜入して依頼主の息子を救出する際にその組織をぶっ潰したらしいのだが...。
 『銀の王国では働かずとも幸せに暮していけるらしい。』と言う噂がその元である。
全世界に散らばっている銀の一族はその類まれな宝石と銀細工の腕を持ちながら辺鄙な山奥などに隠れ住んで鉱石を発掘したりしているらしい。大国の注文を聞いたり、特定の信頼のおける商人のみと取引している。しかし彼らのいずれもが王国を知っているわけでは無い。今回もそのような噂はあるが、誰もたどり着いたという話はいまだに聞かない。
『害がなければそれでよし』というわけで、探索隊は派遣された。
「ザックス、どうするんだよぉ〜これから...」
我々はかれこれ1ヶ月近く噂を辿って諸国を回り続けていた。メンバーはダグラスことダグとギルバードことギルの3人だけだった。
 ダグはがっしりとした体躯の男である。乗ってるトルバが可愛そうな位ずっしりとした筋肉の持ち主だ。ひげむくの顔は一見怖そうに見えはするが目は草食動物のように小さくてかわいらしい。時々本を読んでは感動して涙を流しているかわいらしい男だ。外見と中身の差がこれほど激しい男も少ないだろう。
 ギルは背の高い冷たい目をした策士だ。口数は少ないが必要なこと、心理を突いたことを言ってくる。何事にも我冠せずのポーズをとっているが意外と心の中に熱い物を持っているのを俺は知っている。二人とも癖はあるがガーディアンでもトップクラスの剣の使い手だ。今回の依頼を少人数でクリアさせるための選りすぐりのメンバーだ。もちろん私の信頼の置ける親友でもある。
「どうするったって、探すしかないだろう?もう弱音か、ダグ。」
私は呆れ顔でトルバの上でバテバテになっているダグのほうを向いて言った。
「とりあえずここからオーグ山脈のほうへ向かうしかないな。情報の総てはここで途切れている。」
ギルが細めた目で連なる山々を見つめながらそう言った。
「オーグ!あんな未開の山ン中、入ったら出て来れないぜ。」
「そうだな、森から入っていくとかなりの距離になるな。険しくなるが、いっそ峰伝いだと早く行けるぞ。どうするギル?」
弱音を吐きまくるダグを無視してギルと相談を始める。
「危険じゃないかな?こちらの森から探索しながらでも時間はかかるが安全だろうう。」
ギルは冷静に判断する。しかし手に入れた情報ではオーグ山脈の向こうなのだ。早くそちらに出るにはやはり山脈伝いのルートが望ましい。
「他に足手まといのメンバーがいたらそうしてるさ。だがこの三人だぜ?行けない事は無いだろう。」
リーダーは俺だった。二人はそれに黙って従ってくれた。
 ――このとき無理をしなければ...あの出会いは無かっただろう。だが大きな犠牲を払うことも無かったのだ。私の犯した最大の判断ミス。それは晩年を迎えても悔やまれてならぬものであった。
「ザックス!だめだよ、雨で足元がぬかるみだした!ずるずる滑っちまうよぉ。」
ダグの情けない声が後方からする。突然振り出した激しい雨と風は、さえぎるものの無い岩肌をさらけ出した山壁を歩く三人に、容赦なく襲い掛かる。砂利を含んだ岩肌は先ほどから山頂から流れ落ちてくる水を含んで足元を不確かなものにしていた。
「ギル、トルバはもう無理だな?」
「ああ、ここで離してやったほうがいだろうな。」
こんな状況下でも彼の冷静な声が帰ってくる。
「よし、最低限の荷物だけ持ってトルバたちは放そう。いずれ帰ってくるかもしれんしな。少しでもくぼみのあるところを探して何とかやり過ごそう。」
私がそういってトルバから降りかけたその時、激しい雷鳴が響いた。
「グぉーッ!?」
トルバたちは一斉に怯えて暴れだす。その時岩石を含んだ土砂が山頂から流れ落ちてきた。
「あぁっ!」
ちょうど身体を下ろす寸前に、その流れに巻き込まれ、私のトルバは岩の塊をもろに身体に受けたようだった。
私の身体は乗っていたトルバと共に、そのまま押し流されるように宙に投げ出されると、切り立った崖の暗黒の泉の中へと土砂と共に吸い込まれていった。
 増して行く落下速度の中、私の名を呼ぶ友の叫び声が耳に残った。

長い空白の時間。
身体を意識するがまるで作り物のように動こうともしない。
(いったいここはどこだろう?)
己の身体をゆっくり確認してみる。左肩は脱臼でもしているのだろう、動かすこともできぬほど痛んだ。あばらは確実に折れていた。息をしても痛む。背中もひどく打っているのだろう、感覚が戻ってくるとシーツにすれていることにすら鈍い痛みを感じる。左の足は折れてこそいないものの臀部から腫れあがった違和感が大腿部の半ばまで続いている。
薄れた意識の中に甘い香り。
(天の国には至上の楽園があるとか言ってたが、せっかく辿り着けてもこんな重い身体では嫌だな。)
『あら?』
小鳥の囀るような声がする。心地よい響きが軽やかな音色のようだ。
『気が付かれました?』
可愛いらしい声だ。頬の辺りに何かが触れる。
「うぅっ...」
ほんの少しだけうめくような声が自分の口から漏れる。
「いかが?目を覚まされましたか?もし?あなた?」
暗闇の中に光が射す。薄く開こうとする視界の中にぼやけた白い輪郭。鼻孔をくすぐる花の香り。
「しっかりなさって!」
「あぁ...」
上気した頬、翡翠色したの大きな瞳。私の頬にかかる黒い真っ直ぐ伸びた絹の髪。すぐ近くまで近づけられた赤い唇...。
(綺麗だ、これが噂に聞く天の国の使い女か?)
「気が付かれました?よかったわ。」
鈍くしか動かない頭を振って無理やりにも頭の中の濃い霧を追い払う。
「うっ!!」
身体を動かそうともがいては再び激痛に襲われる。天国でも夢でもない現実感を伴う激痛。
「さあ、こちらの薬を。」
苦いような甘い薬を何度も口元に運ばれる。
「このお薬が効いてくれば痛みも少しは和らぐでしょう。もう少しお休みなさいませ。」
心地よい声が響く中もう一度眠りに落ちていく。

「痛みますか?」
何度も無意識に寝返りをうとうとして、激しい痛みで戻るうつろな意識に彼女の問いかけが響く。
何度かあの薬が流し込まれてくる。この薬を飲むとしばらくの間痛みを忘れて深く眠ることが出来る。どうやら痛み以外に眠りを誘う薬も入っているのだろう。もっとも起きていては痛みに耐えかねて暴れていたかもしれない。意識がはっきりしそうになるたびに飲まされていた。繰り返される意識の覚醒と混濁の中で時間は過ぎて行った。
「体中痛くて...動かせない。」
何度目かの問いかけにそう答えた。
薬の量が減ってきたのか慣れたのか、徐々に意識が冴えていく。周りを見回しても部屋の天井あたりしか見えない。天井は意外にも高く、石造りのようだった。
「ずいぶんとひどい打撲で、全身くまなく腫れ上がってましたからね。あばらの骨も1本折れてますわ。でもあなたは幸運でしたわ。一緒に落ちてきたトルバが下敷きになってなかったらきっと命は無かったでしょうね。安静にしてお薬を飲んでればそのうち身体も動くようになるでしょうって、おばば様がおっしゃられてたわ。」
心地のよい声を聞きながら彼女の動きをなんとか目で追う。
(おばば様?時々耳にするしわがれ声の主だろうか。)
「おばば様は、ああ見えてなかなかの名薬師なのよ。私もその卵だけど、ここには医術師がいないからみんなおばばさまの薬草で治すのよ。あなたは若くて鍛えてらしゃるみたいだから、きっと治りも早いでしょうって。」
彼女は再び例の薬を手にしていた。
「さあ、もうしばらくはこのお薬をお飲みくださりませ。痛みとうっ血を取る七参(しちじん)とよく眠れる竜骨が入っていますわ。」
七参、聞いたことがある。山中の限られた地域でしか採取できないと聞く貴薬だ。
「もう、眠るのは嫌だな...身体が、言うことを利かなくなる。それよりも、ここは...どこなのか?」
その問いかけに、彼女はあいているほうの人差し指を立てて、口元にもっていくとにっこりと笑って頭をふった。
「お聞きにならないほうがよろしいですわ。まずはお体をお治し下さいませ。」
小さな声で耳元に囁くように彼女が言った。
「動けるようになられても、しばらくはむやみにこの部屋から出られませんように...あなた様のためにですわ。」
「私のため?なぜだ?うっ!」
私は無謀にも身体を起こそうとして、痛みで呻き声をあげてしまった。だが痛みで身体は起こせそうにない。諦めてそのまままた大人しくベッドに横たわった。
「お名前をお聞きしてもよろしいかしら?わたしはアイリーンと申します。ここでおばば様の助手をしていますの。崖から落ちてこられたのを見つけたのも私ですわ。」
「そうですか。ありがとう、アイリーン。私はザナックス・ヒルブルグス、ガーディアンをしています。」
「ガーディアン?」
知らないと言うので一通り彼女に説明する。
「ここにはどんなお仕事でいらっしゃってたの?この上はひどく険しい岩山ばかりのはずよ。」
怪訝そうな顔で彼女は聞いてきた。
「銀の王国というのをご存知ありませんか?」
「知らないわ...なぜそんな国を探してらっしゃるの?」
「その国がどこにあるのか、世間に流されている噂は間違っていないか、組織の人集めの手段になったりしていないか確かめるためです。」
「それは何のために?」
「ひとつは依頼があったからです。けれどガーディアンの総帥は闇組織の暗躍を危惧されているので、その確認です。」
しばらくは私の話を聞いていた。何か少し考え込んでるようだった。
(銀の王国のことを何か知ってるのだろうか?)
「そうですか...では、ただの旅人で通されたほうがよろしいですわ。ガーディアンをなさってることも、私は聞かなかったことにいたします。」
「なぜだ!?」
思わず動く右腕で彼女の手をつかんで引き寄せる。
「きゃっ」
手を引き抜こうとしているが、華奢な彼女には片腕で充分だった。けれどあばらに痛みが伝わって、脂汗が滲む。
「こ、ここは長年外交を断っている世捨て人の郷です。自由に出入りも許されてはおりません。ガーディアンという存在も皆は知らないでしょう。もしそんなことが知れたら厳しく警戒されてここから出られなくなってしまいます。」
彼女はゆっくり微笑むと、そっと私の手をほどいた。
「国に帰られるおつもりでしたら、いっそのことずっと動けない振りでもなさってればよろしいでしょう。」
「動けない振りですか?」
「その方が安全ですわ。ここは癒しの館といっておばば様の館です。ここには私とおばば様以外は限られたものしか出入りできませんわ。あなたはここに来たくて来られたのではありませんからね、様子を見たほうがよいと思います。」
「そんなこと、私に言ってもよいのですか?判ってしまった時にあなたの立場が悪くなるのではないのですか?」
「大丈夫ですわ。あなたはとても綺麗な目をされているから...悪い人には思えなくて。」
くすりと軽く笑った彼女の肩が揺れた。そのしぐさ、微笑みに心が奪われていく。
「あなたのほうがずっと綺麗な瞳をしている...」
(こんな気障な台詞を自分で言うなんてな...)
それ自体が信じられないことだったがもっと信じられないのは、動く右の手でアイリーンの頬に軽く触れていたことだ。自分の大胆さにおののきながらも、触れた指の先から熱く火照ってくる。彼女も頬を赤らめながら、逃げもせず潤んだような瞳でじっとこちらを見ている。
「わかった、貴女の言うとおりにしよう。」
優しく微笑むアイリーンの頬に触れたまま、そう答えていた。


窓からの日差しの暖かい日、ぼんやりと空の色を見ていた。
彼女の前以外では出来る限り眠った振りをしていた。眠るのが嫌だと言ってからは竜骨の量を減らしてくれたようだから丸々寝てるわけではない。人目のないところで、少しづつ身体を動かし慣らしていく。なんとか身体も起こせるようになった。ゆっくりだけれどベッドから降りて歩くことも。彼女はまだ早いから無理をするなと言うが、いざと言う時のためにも動けるようになっておきたかった。それでも誰も出入りのない夜中にリハビリするので、日中はやはり眠かった。
 うつらうつらしかけたとき、部屋の外で言い争う声が聞こえてきた。
戸は半分開いていて、アイリーンの姿が見える。
「何度も申し上げているはずですわ!婚姻する気はございません。レイノール様。」
アイリ−ンの声はわずかに語気が荒い。
「あなたももう19になられる。最初は18になればと約束したではありませんか!」
もうひとつは男の声だった。こちらもかなり気が立っていた。
(彼女には婚約者がいたのか?)
ざわざわと胸が鳴る。まともに動けないがいざという時のために身体を起こそうとする。言い争う声ははっきり聞こえる。
「それは...3年前、この館に薬師の見習いとして入った時に、お断りしているはずですわ。」
「私は認めてはいない!そなたが勝手に申し出たことだ。」
「父上もお認めになられましたわ!」
「そなたが5歳の時に婚姻の約を交わしてからこの14年ずっと待っているのだぞ?」
「それは...レイノール様がここに参られた折に、つりあう年頃の姫君が居られなかったからですわ。いまではクリスティーナ様も連れ合いをなくされてお一人です。あの方は、少しお歳はいかれてますが王族の方ですし、金の髪のナイジェル様ももう11におなりです。あと数年もすればきっと、あっ!」
入り口に二つの影が現れた。黒髪の彼女に、銀の髪をした背の高い男が被さろうとする。
(銀髪の男!)
「バシーーン!」
彼女の手が男の頬を払った。
「私は父上に許されて薬師の業(なり)を持ちました。その時点で婚姻の約も解けたも同然です。レイノール様には王族にふさわしい跡継ぎを設けられる方とどうかお幸せに!さあ、もうお帰りくださいませ!ここはおばば様の癒の館です、許可なく入れぬはずです。」
「私は諦めん!クリスティーナのような40手前の子持ちも、ナイジェルみたいな乳臭いガキもいらん!わたしが欲しいのはアイリーン、そなただ!」
「いや!離して!」
銀の髪の男は強引にアイリーンを引き寄せようとしている。わたしは軋む身体を無理やり動かして、そっとベッドから降りると戸口へ近づいていった。
「うるさく騒ぐでないわ、ばか者めが。」
しわがれた声が低く響く。
「おばば様!」
「レイノール殿、わたしゃおまえさんにこの館への出入りを許可した覚えはないぞえ?さっさと出て行かぬのならそれなりの処置をとらざるをえぬが、よろしいかな?」
有無を言わさぬ言葉であった。小さく捨て台詞を残して、男は走り去った。


なんということだ!私が落ちたのは捜索中の銀の国だったというのか?
おばば様がゆっくりと部屋の方に視線を移した。
(しまった!)
ベッドはもぬけの殻である。私はドアの影に張り付いたままである。
「ふん」
おばば様は軽く鼻を鳴らすとアイリーンに「気にするでない」と言い残すと、ふぉふぉふぉと不気味に笑いながら部屋の前を離れていった。急いでベッドに戻って寝た振りをしてごまかそうとした。
彼女は私のベッドへと歩み寄ってきて、ため息をひとつついた。
「起きてらっしゃいますよね?」
(うっ...)
「薬の効き目はもう切れ始めているはずですもの。」
様子を見ようと薄目を開けると、彼女の顔がまじかにあって覗き込んでいた。
「...」
「あまり眠るのは嫌だとおしゃられていたので、竜骨の量を減らしましたから。」
こちらをじっと見ている。
「先ほどの、聞かれていましたね。」
彼女はもう一度ため息をついた。
「あぁ。」
覚悟を決めて目を開けた。彼女はベッドの傍らに腰掛けていた。
「ここが私の探していた銀の王国だったのか。」
アイリーンは静かに頷いた。

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