リイン&ジェイクシリーズ
氷の花〜IceFlaower〜外伝

中編


石作りの建物や敷地内には、近くに湧き出ている温泉が満遍なく引かれているらしかった。そのため、ここは冬でも暖かく過ごしやすいのだそうだ。もちろん作物にもそんなに不自由しない。まるで楽園だ。ただし一切自由には出入りできない。切り立った崖に囲まれて、脱出も入国も出来ない。隠された方法があるらしいが...。よほどの信頼の置ける者としか外界と連絡を取っていないということだ。だからここに迷い込んだものは、一生をここですごす選択を迫られるのだそうだ。たいていの者はそれを望んでいるのだが、たまに帰りたがるものはいつの間にかいなくなるのだそうだ。そのためにアイリーンは私に動けぬ振りをして様子を見るように薦めたのだ。
「そうだったのか...」
私はベッドに腰掛けて彼女の話を聞いていた。
「この館にいれば、あの男も寄っては来ないと思っていたのに...彼は、レイノールは私の許婚だった人です。ここでは同一種族が多く、近親婚を避けるために銀の髪の家系のものは幼い時より自分の結婚相手が決められるのです。レイノールは外から来た王族だったのですが、見合った歳の者が居らず、私の許婚が病死したところだったので、取り合えず私が許婚となったのですが...」
外からというのは、稀に外にいる一族の中に銀の髪をした子が生まれることらしい。彼は何年もかけてここにたどり着いたのだという。彼女も黒髪をしているが王族の生まれだという。
ここは銀の王国。銀の髪をした王族の住まう国。たとえ王の子であっても髪の色が違えば臣下に下る。実際もう銀の髪の者は数えるほどしか存在しないそうだ。
「レイノールは、私が5歳の時ににこの国へやって来ました。最初に逢ったとき、私は下の妹達の手前お行儀よく挨拶したのですが、私をじっと見ていたかと思うとにやりと冷たく笑ったのを見て、怖くてそこに立ち尽くした記憶があります。あの眼...昔から冷たくって、ぎらついてて...」
「そんなに嫌なのか?」
その問いにすんなり頷く。
「昔からあの、蛇のように冷たい目にだけは慣れないのです。なのに彼はなぜか私に固執して...。私がこの館に入ったのも、彼との婚姻の約を取り消すのが目的ですもの。もっとも一族の長達は彼に銀の髪の後継者を作ってもらわないといけないので必死に説得していますが...」
アイリーンの話によると早くから身の危険を感じて、16までは父母や妹達と同じ部屋で寝起きしていたという。さすがにその歳になってまでもということでこの館へ移ったのだそうだ。その時にはっきりと婚姻の約を断ったはずなのに、今もなお執拗に言い寄ってくるという。最近焦りを見せる彼は力ずくで事に及ぼうとしているらしく、何度か危ないめに逢いながらも、おばば様のおかげでなんとか無事でいられるらしい。
「どうされますか?国に戻って報告されなければならないのでしょう?」
彼女の方を見ると、わずかに潤んだように見える瞳を見開いてこちらをずっと見つめている。私も座っているので、いつもと違い目線がわずかに私のほうが高くなっている。そのぶん凄く新鮮だった。
「あぁ、出してもらえればって事になるよな。」
視線が絡まる。
彼女は言葉にこそしなかったが、その瞳は私を引き止めるには充分だった
(ここを出て行ったら、おそらく二度と彼女とは会えない...)
だからといって容易につれて出られるものでもないことはわかっている。怪我が治るまで...だ。
なのに一気に押し寄せるこの感情の高ぶりはなんなのだろう?
(このまま会えないなんて!いっそのこと連れて行きたい)
そう思うほど私はアイリーンを想いはじめていた。
そして、彼女の方も自惚れでなければ、きっと自分の事を想ってくれているはずという思い込みにも似た確信。なぜにそう思うのか?それは自分でも不思議だったが。
ここを去るつもりならば、この気持ちには蓋をしておくべきなのだろう。だが気持ちと身体が別に動いていく。動く右腕でそっと彼女の肩に手をかけて、そのまま自分の方に引き寄せる。アイリーンは嫌がりもせず、そのまま近づいて来る。痛む左腕を彼女の腰に回す。
「ザナックス様?」
彼女の赤い唇がわずかに開いて自分の名を呼ぶ、その甘い響き。
「ザックスと呼んでくれないか。親しいものはみなそう呼ぶのだ、アイリーン。」
喉に絡まる声をそっと絞り出してアイリーンの耳元に囁く。
「ザックス...」
自分の名を口にするその唇に吸い寄せられていく。
濡れた様に光るその唇に重ねる、自分の唇を意識する。柔らかく暖かい感触、甘く感じてしまう。重ねながらもそのままま深く絡まっていく。甘いその唇に溺れるようだった。
腕の中で苦しそうに胸を上下させて喘ぐ彼女に気づいて唇を離す。
「あ...」
空ろな目をしたアイリーンはそのままま私の胸の中へと崩れ落ちた。
「あなたに魅かれていた。ここで目を覚ました時から...こんな気持ち初めてだ。アイリーン...。」
優しくけれども強く抱きしめる。
「私も、私も...ザックス。このまま...ずっとこうしていたい。」
もう一度見詰め合って口付ける。
二人、時間の許す限り唇を合わせ続けていた。


漲る力、気力とはこうも身体を再生させるものなのか?
その日からの回復は目覚しかった。竜骨を入れる振りをしてアイリーンは七参の量を増やした。他にも体力増強の秘薬も色々と混ぜていたようだ。
こっそりと夜中に潜んできては、昼間に出来ない治療を施してくれた。
袖の下には食べ物を隠しては運んでくる。表向きは昼間動けない眠った振りを続けているわけだから自由に飲み食いが出来るわけではないので腹も減っている。自分でも呆れるほどの順調な回復ぶりだ。
「後は食べて、徐々に身体を動かして体力を回復させるだけね。」
折れたあばらはそこだけきつくさらしを巻いている。
人目のないときには身体を鍛え始めた。臀部の痛みも引いてきたのでベッドから降りて鈍った足腰を鍛える。何日もの間眠っていた筋肉が一気に目覚め始めた。

「凄い、回復力...ね。」
アイリーンはベッドの中で元に戻りだした胸の筋肉をその白く細い指でなぞりながら身体を寄せてくる。
彼女の滑らかな肩を抱いて黒髪に顔を埋めてキスをする。
体力と共に、そっちの方が先に回復してしまったみたいで...毎夜訪れる愛しい女を前にして、理性の糸はほどなく切れた。治療で密着して包帯を替えてもらったり、風呂代わりに身体を拭いてもらっていては、我慢できるものも我慢できなかった。
(自分なりにかなり我慢したつもりだが...)
甘くて蕩けそうな時間を、何日かに一度は二人で過ごす。翌日は眠そうな彼女をからかうのも楽しかった。
「だめ...眠くって、もう倒れそうよ。あなたったら気持ちよさそうに寝た振りするんですもの。」
明け方近くまで二人抱き合っていたのだから無理もない。
アイリーンは、薬湯の中に強壮剤はもう入れないわとため息をついた。
「じゃあここに入る?」
と掛け毛布をめくって見せると昨夜を思い出したのか真っ赤になって向こうへ行ってしまう。
くすぐったいような幸せの感覚。こんなにも人を愛しく思えるものだったのか?身体を重ねるごとに愛しさと独占欲が高まっていく。その身体に自分のモノと印をつけながら、誰の目にも触れさせたくなくなってしまう。
自分がこんな愛し方をする人間だったのだと、今更ながらに気づく。
このまま、こうしていることが許されるのなら...もうこの手を離すことなど考えられないのだから。
答えは一つだ。
「アイリーン、君の父上にお会いすることは出来ないだろうか?」
「父上様に?」
「あぁ、君と共にいられるなら、このままずっとここにいても構わないと思ってるんだ。だから身分も、身体も回復したことを正直に話して、あなたを本当に私のものにしたいんだ。」
「ザックス!あぁ、本当に?いいの?お国のほうは?あなたはお父上様の後をお継ぎにならなくてよろしいの?」
事の後の火照った身体を、夜気の少し冷えた空気に晒しながら、アイリーンがその瞳を近づけてくる。
「構わないさ。アイリーン、君がここを出られないなら、私がここに残るしかないだろう?それとも離れられるのか?」
そんなことできるはずがないでしょうと、胸の中へ再び落ちてくる。まだ少しあばらが痛むが、そのまま受け止めて抱きしめる。
「明日にでも、話して見ます。それと、おばば様が...気付いてらっしゃるみたいなの。」
どうしようか、相談しようと思っていたのだと彼女は言った。
「やっぱりな。今朝なんて寝たふりしてる時に鼻つままれて焦ったよ。」
昼間に人の気配がしたので慌てて寝た振りをしたと思ったら、じーっと覗き込まれて、その後鼻をつままれたのだ。ごまかしたつもりだが...ばれてるんだろう。
「私も...元気そうだなって、あれは多分あなたの事だったと思うの。」
「じゃあ、まずおばば様だな。」
「きっと味方になってくださると思うの!」
アイリーンはにっこりと微笑んだ。
彼女も悩んでいたのだろう。迷い込んだ旅人と愛し合い、その相手がいつ出て行くかわからないこの状況に...
最初はつれて出ることも考えた。しかしいきなり身分をあらわすことも黙って出て行くにもリスクが大きすぎる。なにより命を助けてもらったのだから...
(まず信用してもらわなければ。)
それが結論だった。このまま彼女と共にここにいてもいいと思ったのも事実だ。
親父殿はまだまだ元気だし(ある意味では迷惑なほど...)自分がいなくてもという気はあった。気がかりなのは共に旅してきた友人達、ギルとダグのことだ。きっと心配しているだろう。死んだものと思われていても不思議ではないのだ。いつか、いや早めに生きていることだけでも伝えることが出来ればそれでいい。このときはそう思っていた。


「ふむ...どうやらそんな気はしていたものの、そこまでのう...」
おばば様は私達二人の顔を見回しては、さして驚きもせずにため息をついた。
彼女には総てを話して、父王君にどこまで話していいものか相談を仰ごうとアイリーンが言うので、わたしは自分の身分、ここに来た目的、総てを話した。もちろん身体が回復しているのも証明して見せた。その回復力にはおばば様も驚きを隠せなかった。
「私はアイリーンを愛しています。彼女と離れるなんて、ましてや許婚殿に渡すなんて考えられない。ここに残るのが掟ならここに残ります。なんとか、アイリーンの父君にお許しをいただきたい。おばばさまからも、何卒御口添えをいただきたい。」
「.....」
「おばば様、私も同じ気持ちです。ザナックス様はここに残ると申されました。けれど彼が国に帰ると申されればどこまでもついて行きたい!総てを捨てても...アイリーンに覚悟は出来ております。」
アイリーンは瞳に涙を浮かべておばば様に懇願していた。彼女も同じく総てを捨てるつもりだったのだ。
「アイリーン、お前様の人を見る目は昔から敏感であったの...レイノールを嫌うのも、あ奴が外界でして来たことを薄々感じ取っての事じゃと思っておる。そなたがそこまでほれ込んだその男が信用するに足りることはそれで証明されようぞ。父君との謁見、わしが秘密裏にかなえよう。もちろん口添えもいたそう。わしはそなたらの味方じゃよ。」
しわくちゃの顔を崩して、おばば様が笑っていた。その目は優しかったと思う。
以前から顔色のいい病人と嬉々としてその世話を焼くアイリーンを見ては、薄々気がつきもしようとおばば様は呆れた口調で言った。総てはお見通しだったのだ。
数日の後、夜の闇に乗じてアイリーンの父君、サーネイル・ダ・シオール国王がわざわざ癒しの館へと現れた。
「そなたが...」
穏やかな面持ち、銀の髪を肩で切りそろえ、細身でありながらもその姿は王の気品を持ち合わせておられた。この国の王は、生まれながらにして王であることも后も決まっておいる。その中でもこのフィリオール王は、自分の果たすべき使命を知り、万事を尽くす稀に見る実直な王であられると、前もっておばば様に聞いていた。そのイメージ以上に穏やかな雰囲気をもっておられた。
「わが娘アイリーンが選んだのが外界からきた者とは、驚かずにはおれぬが、許婚を嫌う以上それもまた運命か...ところでザナックス殿、そなたは『ガーディアン』と申されたが、それは金次第で動く集団ではないのだな?」
「はい、ここが銀細工の技術で国を維持すると同じく、私の国も小さく、その長けた武の力で生計を立てております。方針といたしましても戦に力を貸したり、不正に利用したする営利集団ではございません。」
それが親父殿の意思でもあった。
「アイリーンのためにここに残ると言われるなら、反対する理由もないであろう。ただしガーディアンであると言う事実だけは伏せてもよいかな。皆にいらぬ心配をかけたくないのでな。」
手放しで喜ぶわけではないにしろ、父親として二人のことは認めてくれたようであった。
「ただ、厄介なのはレイノールだけだ。あれはなぜかお前との婚儀を強く望んでいる。彼にも銀の後継者を増やすために、誰か、そうだなクリスティーンとうまくやってくれれば良いのだが...一族の王として命じてみよう。」
あの男がすんなり聞きそうにはないのだが、ここは王に任せるのがいいだろう。
「明日にでも皆に引き合わせよう。」
そう王がいってくれた。ほっと胸をなでおろす。アイリーンは瞳に涙をためて微笑んでいた。銀の王は娘を優しく抱きしめると、私の方をむいてよろしく頼むと静かに言った。
翌日非公式ではあったが謁見の間で銀の一族と引き合わされた。
国王夫妻とその娘達、そして一族の長達が並ぶ中アイリーンの結婚相手として紹介された。
「うむ、これでレイノールも踏ん切りをつけて諦めてくれればいいのじゃが。」
長老の一人がそう言った。
「ああ、やはり銀の後継者のためにもクリスティーン殿との婚儀を受けていただこう。彼女のほうは承諾済みのはずだ。」
「うむ、今朝国王命令として婚儀の辞を申し渡してきたのだが...素直に聞くものかどうかだな。」
一通りの紹介が終わったあと、国王と長老達はそんな話をしていた。
私はというと、アイリーンの妹君達に囲まれて質問攻めであった。長達の話が聞きたかったのだが...
「ザナックス様!どこからいらっしゃったの?そこはどんなところですの?」
「外の世界って恐ろしいところなんでしょう?怖くはありませんの?」
あまり外界のことは話さぬほうがいいと思っていたので、そこそこの答えで済まそうと思っていたが、それではすまない勢いであった。すぐさまアイリーンとおばば様に助け舟を出されて助かったが、アイリーンの妹は、すぐ下で2歳違いをはじめ10人もいるのだから。
「バン!」
そこそこ皆とも打ち解けた話をしていたその時であった。正面の扉がいきなり開け放たれた。
「レイノール!」
「レイノール様...」
口々にその名が呼ばれる。そこには背の高い銀髪の男が立っていた。
息を切らした彼の形相はすざましく、一目でその怒りがおも図られた。
「国王!長老がた!どういうことですか?これはいったい!!」
冷たい目が恐ろしく殺気をはらんでいた。
「私はアイリーンとの許婚を取り消すつもりはない!クリスティーンとは結婚などしない!子を成せというなら成して見せよう。だが、私はアイリーンと結婚するのだ!アイリーン!」
レイノールの手が彼女に伸びようとしていた。
私は彼女を庇うようにして前へでた。レイノールの勢いにさすがのアイリーンも怯えていた。
「待ちなさい、レイノール・ヴァン・トラス!後できちんと説明する予定だったのだ。無作法にもほどがあるぞ!」
国王が一括すると、とりあえずはアイリーンに詰め寄るのは留まったが、そのかわりに私を呪い殺さんばかりの眼で睨みつけている。
「レイノール様、どうかお許しください。私は、私はこのザナックス様を愛しております。この方以外はもう考えられません。どうかもう諦めくださいませ!」
必死の声でアイリーンが嘆願する。
「なんという裏切りだ!癒しの館へ入るから許婚を取り消してくれなどと一方的に申し出てきたかと思えばこんどはこの外から来た、どこの誰ともわからん奴を愛しているだと?アイリーン、そなたは14年も前から私のものだ!誰にも渡さん!」
レイノールは腰の剣を抜いた。
(しまった!剣がない!!)
こちらは敵意のないことを証明するために丸腰でこの会見に臨んでいるのだ。
「貴様がアイリーンをたぶらかしたのかっ!」
切っ先が頬をかすめる。アイリーンを後ろに下げなければよけられない。
「ぐっ!」
次に振り下ろされた剣はそのまま胸から脇をえぐった。
すぐに痛みは感じないものの、じわじわと痛みと共に血が滲み始める。あばらの固定のためにきつめに巻いていた晒しが功を奏した。
「ザナックス殿、これを!」
国王自らが腰の銀細工の見事な細身の剣を投げてよこした。
「丸腰のものを切りつけるなど王族の面汚しをするつもりか!レイノール、落ち着くのだ!」
剣を手にした私は、国王の言葉にひるんだ隙をついて剣を払った。
「がしゃん!」
レイノールの剣が落ちたのを見て、国王と長老達が彼を押さえ込んだ。
「くそっ!離せ!アイリーン!!」
なおも彼女の名を呼び続ける。
「ザナックス殿、今のうちにこちらへ!」
国王に導かれ謁見の間をあとにした。

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