月がほほえむから

1.最悪の出来事

「どうしよう...」
あたしは途方に暮れてしまっていた。
突然の出火、木造のアパートはあっという間に燃えてしまった。それでもまだ出火元の部屋が遠かったからある程度のものは持ち出せた。通帳、印鑑、それから残り少ない現金に大学の教科書。そこまで詰めたところで鞄が一杯になってしまった。もっと大きな旅行鞄でも買っておくべきだなんて思ってももう遅い。すでに煙は部屋に入ってきていた。仕方がないよ、奨学金で大学に通うわたしには、旅行に行くようなお金も持ってないし、行く予定もないんだからって文句を言ってるあいだに消防隊員の人がどかどか入ってきてあたしの両脇を掴んで外に出そうとした。
「ちょ、ちょっとまってよ!!」
あたしは銀の衣装の救急隊員を睨み付けるとタンスの上の写真を鞄に詰め込んだ。それでもう何も入る余裕はない。とりあえずは先にパジャマから服に着替えていたからいいようなものの、靴を履くとそのまま外に連れ出された。荷物は消防隊員の人が持ってくれたのでラッキーだったけれども...


って、荷物もってもらえたのがそんなにもラッキーじゃないってことに気がついたのは翌朝だった。
消防署やらの事情聴取が終わって解放されたのは翌朝だったんだけど、警察にやってきた大家さんはとんでもないことを言った。
「出火原因の201号の細見さんにはしかるべき責任を取ってもらいますが、こうなったら新しく建て直すしかないですからねぇ...建て直すまでの間入れるところ探しますが今までみたいな家賃では無理ですよ。」
「そ、そんな...」
その場にいた数人が肩を落とした。風呂なしだけど近くに銭湯があって、トイレが部屋についてて(ここ重要!)・台所付き、4畳半一間で家賃月25000円なんてとこ、この都心じゃなかなかないのに...
あたしは田舎に母親を残して大学に通ってる。母子家庭で、母親の実家の近くにアパートを借りて細々と暮らしていた。ほんとうならそのまま就職して母を助けるべきだった。だけど母はそれを許さなかった。中学でも高校でもあたしは成績がよかったから、かな〜り期待しちゃってるんだ。なんと言っても他に娯楽がないんだから勉強するしかない環境だったといえる。もちろん、嫌いなわけじゃないけれどもね。進路相談で進学を勧められたあたしは国立1本で受かれば進学すると告げて必死で勉強した。特別にバイトを認められて居たので、それだけはこなしながらも...結果、見事に合格し、奨学金も得られて進学できたんだけれども、生活費は自分で稼がなきゃならない。
最近は母も身体の調子がよくないみたいで、あたしは出来る範囲でバイトして、贅沢をせずに必死で勉強した。なぜそこまで勉強するかって?あたしは司法試験を受けようと思ったのよ。そしたら検事でも、弁護士でも、手に職付けてやっていけるじゃない?だから学校の教科書、六法全書とか、山ほどの本を持ってでるのに必死になったわけ。
なのに...
今夜泊めてもらえるような友人宅もない。友達も作らず、必死で勉強してきたんだから...着飾ってご飯を食べに行ったり、買い物したりする余裕なんて全くなかったから...だってさ、知らなかったのよ。司法試験受けるためにはみんな大学以外に塾っていうか、別の学校に通ったりしないといけないほど難しいみたいで、そんじょそこらの勉強じゃ司法試験に受かりっこないって。だからあたしはお金がなくてそんな余分のとこに通えない分、自力で勉強しなきゃなんないのよ。そんなあたしだから、親の金でそう言うところに通える人たちとは一線を置くっていうか、置かれちゃって相手にさえしてもらえないのよ。だから、大学に友人なんてほとんど居ない。
ああ、どうしよう...


目の前に食堂があった。お昼時なのですごくいいにおいが店の外までしてくる。このにおいは焼き肉定食だろうか?あ、このにおいはサンマ定食?
滅多に外食なんてしたことがなかった。食事は自分で作るもの、それが一番安く上がるからね。あたしはTVでやってるような1ヶ月10000円生活って、やろうと思ったら出来るかもと思ったけど、あれは他にすることがないから出来るんじゃないかな?バイトして、大学行って勉強して、それだけでもかなり時間を使ってしまうんだから...そのバイトだって、こんな見かけのあたしはなかなか雇ってもらえない。三つ編みに痩せた身体、化粧っけのない顔に縁付きのめがね、服はジーンズとTシャツ、冬はトレーナー、接客系では使ってもらえないから厨房で男の子らと一緒に皿洗い専門だったりする。でも飲食業はまかないがあったり残り物がもらえるからなかなかおいしいんだけどね。でも腕力がないので、裏方ではなかなか雇ってもらえない...
「すみません、煮物定食一つください。」
あたしは肩を圧迫していた重い鞄を地面に置くとそう注文してやっと腰掛けた。不動産屋も回ったけどやっぱり3万以上出さないとトイレ付きはなかなかない。おまけに敷金礼金まで出すお金なんてない...
あたしは残った財布の中を見つめながらため息をついた。
残り7565円。この定食が390円と意外にも安いから、あと7175円。バイト代が入るのがあと3日後...食料は冷蔵庫の中味でいけると思ってたのに。今や食料どころか寝る場所もない。カプセルホテルとかだと3日ぐらいはお金が持つかな?
「どうぞ、お茶のお代わりはそこね。」
恰幅のいいおばちゃんがにっこり笑ってお膳をおいていってくれる。不審に思われてもしょうがないのに、なかなかの人だ。
今のあたしの格好はすすけたジーンズに炭の付いたTシャツ一枚だ。焼け出されたそのままの格好。結構不振人物だと自分でも思える。
あたしは手を合わせて頂きますをするとゆっくりとご飯をいただく。これだけは母にうるさく言われた。食事は食べれることに感謝して、きちんとゆっくりといただくこと。たとえご飯とおみそ汁だけでもだ。
「ごちそうさまでした。」
おいしさに思わず顔がほころんでいた。久しぶりにお母さんのご飯を食べた気分に満足して、あたしは立ち上がってレジの方に向かった。
あたしはレジの前に立って、その柱に貼ってあった紙を見て息をのんだ。
「あのっ、これ、今でも募集中ですか?」
ゆびさす方向をゆっくりと見たおばちゃんがにっこりと笑って頷いた。
「そうだよ。」
「あの、今日から住み込みで来ますか??」

<従業員募集中・住み込み可>

「いいけど、あんた学生さんじゃないのかい?うちは昼間忙しいから従業員が欲しいんだけどねぇ。アルバイトじゃ困るんだよ。」
「あ、そうですよね...バイトじゃだめですよね...」
すごすごとおつりを受け取って立ち去ろうと、またあの重い鞄を肩に担ぐ。
さて、どこに向かおうか...
「あんた、まさか昨日火事になったアパートの住民とかいわないよね?」
「え?そ、そうですけど...」
ああ、この界隈からだとあの騒ぎは知れ渡ってるよね?
「住むとこ、ないのかい?」
おばちゃんは立ち止まったあたしにゆっくりと近づいてくる。
「あたし友達とかいないから...」
「しょうがないね。こっちに来な。」
ため息付きながらも笑ってくれたおばちゃんはあたしを手招きした。
「いいよ、時間がある時に手伝ってくれればね。今日からうちに住みな。」
「え?」
「さあ、さっさと来る。お客の邪魔になるだろ?」
うそ、しんじられない!!こんならっきーだなんて...
「い、いいんですか?ほんとに?」
見回すと厨房にいた男の人が苦笑いしながら黙って頷いてくれた。
「ありがとうございます!!あの、一生懸命働きます!よろしくお願いします!!」

         

K’sRoom移籍?初の連載開始です。登場人物にあれって思われた方も内緒ですよ♪