Home Top 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  

光の巫女

10

ミーアが正式に光の巫女になる儀式を受けたのはそれから1週間後であった。
イリナの体力の回復を待ってからの事だったが、今回のように先に水晶に認められるのは稀であるらしかった。

「ミーアさんの力には底知れないものを感じますわ。私の力もかなり強いものといわれて長年頑張ってきましたが、先に身体の方がもたなくなるなんてね。ミーアさんは元気そうなので安心ですね。」

ナルセスもイリナの献身的な看護のおかげか、今では起き上がれるほど回復している。

「交代の儀式が終わったら、私達ここを離れて静かに暮らそうと話してるんです。」

光の巫女の役目を果たしたものは、教会の許す限りの範囲で自由に暮らしてもいいのだそうだ。
ただ、イリナの身体が元に戻ることはない。それほど水晶の影響力は大きい。
聖なる光は人間の身体の中の邪の部分を浄化してしまう。それは人間の身体の中に本来あるべきものまでも浄化してしまうこととなる。毒素、それは誰しもが体内にいくらか持っていて、体外の毒素に対抗するもの――光の巫女は抵抗力が極端に落ちるので巫女の間はあまりここから出ることが出来ない。水晶の加護下でなければ、愛する人との接触もままならないのだ。人と接することで邪となる毒素をもらわぬようにだ。
ただ、水晶と接する事がなくなると徐々に毒素が戻っては来る。まったく元に戻るものでもないが、巫女が長生きをした記録も、子をなした例も未だにない。

「ナルセスはそれでもいいと言ってくれています。――ようやく二人でいられるのですから。」

イリナは儚げだが、本当に嬉しそうに微笑んでナルセスの側にいた。ナルセスも今まで見たことのないような優しげな微笑を見せる。

「イリナ様、ミーア様、儀式の打ち合わせのお時間です。」

司教が部屋まで呼びに来た。
今更の儀式となるが、教会本部としては盛大に執り行うつもりらしく、ここのとこミーアも忙しくしていた。イリナが本調子でないのと、すでにミーアが光の巫女となった今ミーアが動けば済むことだったから。ジンも今日は久しぶりにナルセスの見舞いでミーアの顔が見られた。教会本部内に部屋をもらいはしたものの、光の巫女たる彼女と自由に逢うことは叶わなくなったのだ。

(もう少し一緒にいられると思っていたのに...)

去っていくミーアも心残りな顔でジンを見ていた。話もほとんど出来なかった。3日ぶりだというのに...
実際離れ離れになるのはミーアがジンの家に来てから初めてと言ってよかった。半身を剥がれる様な痛みを胸に感じる。

「ジン、そんな顔をするな。よけいにミーアが辛くなるぞ?」
「ナルセス...」
「気持はよくわかるさ。6年前ここにイリナを連れてきた時も同じ気持だったよ。」

同じ気持と苦しみを、今から味わうものと、味わったもの。ジンは虫の食わなかったナルセスの話を聞いてみたかった。

「私とイリナも、共に兄妹の様に育ったからね。彼女を護るべく修行して来た私は、彼女を妹以上に思う気持を隠していたんだが、ここに着く前にイリナから告白されたんだよ。大人くて、自分から言い出すような娘じゃなかったのに...私が言わせてしまったんだね。けれど彼女の気持を聞いて、私も自分が抑えられなかった。もう少しでイリナを自分のものにしてしまうところだったけれど、やはり出来なかったよ。私は彼女が光の巫女に選ばれてからも、私は彼女の側にいることを選んだが、君もどうするか悩んでいるのだろう?」
「あぁ。」
ジンは儀式のあとの自分の身の振り方が決められずにいた。騎士としてこのまま側に仕える事も出来る。だが愛しい人に触れることもままならぬまま、光の巫女の役目を終えるのを待たねばならないのだ。イリナの場合は体力の限界があったが、その巫女によりその期間は随分と異なるらしい。水晶の力を感じる力が弱まるまで、それは続く。
果たして自分がその強い想いを隠して側にいられるかどうか。欲望はとめどなく溢れようと、ミーアはどんどん神聖化していくのだ。もう今のように答えてくれなくなるかもしれない。はたして自分を抑えきれるのか...。
あと5〜6年は候補者が育つまでは交代はないだろうと言われている。
『ミーア様を傷つけたり悲しませてはなりません。その自信がなくば早々とお側を離れなさいませ。』
大司教からのお達しだ。

「確かに辛いね...」

ナルセスは窓の外、遠くに目をやりため息をつくようにぼそりといった。自分がこの若者に何が伝えられるか?この数年経験してしまった苦しい思いを、今日からはこの16にもならない、少年の面影を残したこの者が味わうことを考えると、同情よりも憐悲の心が湧いてくる。しかし若さゆえか、彼は同情されるのを嫌い、自分の身の上に起こる出来事に正面から立ち向かっている。
(私よりは強いかも知れんな。)
ナルセスはジンの強い意志をはらんだ瞳をみてそう思った。

「男としての辛さだ。昨日までは抱きしめて口付ければ潤んだ瞳で見上げてきた娘が、引き寄せても悲しげにこちらをみる。そんな欲望を持っている自分がまるで汚らしいものに思えて来る。イリナからの愛は伝わってくるのだけれどそれはとても綺麗なものでも、何度か汚してしまいそうになる自分が許せなくてな。一時期逃げ出したこともある。」
「ナルセスでもか?あんたはすごく自分を律することが出来ているように思えたけれど?」
「そうだな、君達のところへ行った頃にはね。わたしは自分が抑えられなくて、イリナを見てるのが辛くて、娼館に入り浸ってしまった時期があった。けれどその最中に水晶の力が衰え、国の気が乱れ、私は急ぎここへ戻ったおりに、はじめて自分がイリナを苦しめていたことに気付いたのだ。思いは同じだったのだ。その乱れた気の修正のためにまた身体を酷使したイリナは益々水晶の側を離れられなくなった。わたしはすぐに司祭の行を受け2年の修行のあと今の任につくこととなったのだよ。」

守護者が司祭になるパターンは珍しい。かなりの知性を要求されるが、ナルセスの場合は申し分なかった。ただ、そのときに行われる『行』はかなり苦しいものといわれている。三欲との戦い「食欲」「睡眠欲」「性欲」すべてを拒否する強い意志を持たねばやり通せない過酷なものだ。
目の前にあるご馳走を食べてはいけない。眠ってもいけない。そして誘惑してくる女に反応することすら許されぬのだ。強い意志をもって三日三晩、耐え抜くのだ。
(俺にはじっとして耐えるなんて言うのは出来ないな。)
身体を動かしていないと気がすまないタイプのジンにはじっとしてることが苦痛だ。

「けど俺は司祭って言う柄でもないね。」
「ははは、確かに君の司祭姿なんて想像できないね。」
「だろ?俺は根っからの剣士なんだと思う。実際に剣を振るって、獣や人を切った瞬間に身震いするような手ごたえを感じたんだ。自分の中の別のものが目覚めたような、怖いぐらいに剥き出しの感覚だった。」

ジンは自分の拳を見つめた。今でも蘇ってくるあの手ごたえ。妙にさえていく自分の感覚。恐怖を感じなくなっていく快感。

「生まれながらの剣士か...君の太刀筋は鍛錬中に見せてもらったことがあるよ。確かにいい腕しているね。父君も剣士としては名高い方だったが、君の事は手放しで褒めてらっしゃったよ。14にしてすでに自分を越えてしまった、たいした剣士になるはずだとね。」

ナルセスも目を細めてジンを見つめる。

「一つ、聞いていいかな?答えにくければいいんだけれど...。あんたはこれからイリナと共に暮らして、どうするの?...抱くのか?」
「ふっ、そうだね、イリナの身体がそれに答えてくれるようになれば、きっと抱くだろうね。それがイリナの命を縮めてしまう事になっても...。男というのは厄介な獣を一匹飲み込んでしまってるからね、飼いならしたつもりでも、愛しい人の事を考えるとそうもいかなくなる。まったく不便な生き物だよ。」
「そうだな...。俺は、離れることも、近くにいて悟ることも出来ないだろうな。ミーアが役目を終えるまで、俺はその獣とやらと戦い抜いてみるよ。不器用だけど、俺は戦うことしか出来ねえだろうからな。」
「それもまたよかろう。我々はこの近くに住むことにはなるだろう、もし何かあれば訪ねてくるがいい。話ぐらいは聞いてやれるだろう。」
「のろけられるからやだよ。」
二人は笑った。ジンも最初からナルセスが気に入らなかったのは、この妙に諦めたような悟った態度が気に入らなかったのだった。しかし彼が経験してきたこれら数年を考えると判った気がした。

「ジン、君がどの道を選ぼうとも、ミーアの気持は変わらないんだ。」

ナルセスはそう言葉をのこした。


数時間後、ジンは司卿に、少しの間二人で話す時間をもらった。
もう自由に逢える事はない。

「ジン、司卿様に聞いたよ。ここに、近衛騎士として残ってくれるんだってね。」
「あぁ、俺さ、ミーアが嫌だって言っても側離れないことにした。」
「ほんとに?いいのジン、それで...。」
「ミーアこそいいの?俺なんて煩悩の塊だからミーアに何しでかすか今から気が気じゃないのに...でも、それと闘ってみるよ。負けるの嫌だしな、ミーアに嫌われたくないから...」
「ジン...」

一歩前に進み出るミーア。ジンの胸の中にミーアが滑り込む。

「きっとこうできるのも今日が最後だと思うの。ジン、ぎゅって抱きしめてくれる?」
「ミーア?大丈夫なのか?」
「ほんとは怖いんだ、このまま光の巫女になって、ちゃんとやってけるかどうか。ジンが残ってくれてよかった。一人だと押しつぶされちゃいそうで...」
「俺がついてるから、ミーア!俺が絶対に護る!ミーアに寂しい思いはさせない。心はミーアのところにあるから...」

ミーアを抱きしめるその腕に力が篭る。ジンの身体も次第に熱を帯びてくる。

「ミーア、最後にキスしていいか?」
「キスだけでいいの?」
「えっ?な、なに言って...」

ついとジンの腕からすり抜けたミーアは薄絹の巫女の装束を床にすべり落とした。

「ミ、ミーア...」
「もうこれで当分会えないんだよ?ジンの目の中に、ミーアを残しておいて!ただの女の子のミーアを覚えておいてほしいの。」

一糸纏わぬその姿は窓から差し込む陽の光を浴びて輝いている。金の髪が光に透けてまるで光を身に纏っているようだった。

「綺麗だ...ミーア、普通の女の子のミーアは俺の、俺だけの物なんだね?」
「ジ、ン...さ、触っていいよ...」

震える声でそう漏らすミーアは真っ赤な顔をしている。

「いや、今ミーアに触れたらきっとそのまま汚しちまうと思う。まだまだ修行不足だからな...」
「あ、あたしが触れて欲しいんだけど、その修行今すぐ出来ない?」
「ミーア...」
「ジンに愛されてる証拠が欲しいの、だめかな?こんなこと女の子が思うの変かな?でもどんどんそう言う女の子のときめきっぽい感情がなくなっていくようで怖いの。きっとジンだってそんなあたし嫌になって、もっと可愛い女の子選ぶもの、あたしなんてすぐに歳とっちゃうし、だから...」

『不安なのはミーアも同じだ』ナルセスがそう言った。
(同じなんだね、ミーア。)

「生憎ミーア以外の女の子なんて目に入らないね、これまでもこれからも...」

素肌のミーアの感触を確かめるようにゆっくりと抱きしめて、優しくミーアに口付けた。
そこから首筋、胸、全身にキスを送る。神聖なキスを、ゆっくりと優しく。

「ミーア、大好きだ、愛してる。お前以外の女なんていらない、ミーアだけが欲しい。俺も待ってるけど、ミーアも待ってて。いつかナルセスたちのように一緒に暮らせる日を...」
「ジンっ、はぁっ、好き。あたしも愛してる!いつかきっと...待ってて、ジンだけのあたしになるから...」
「うん、ミーア、俺のミーア...」

二人、時間を忘れて硬く抱き合っていた。
Back Next