氷の花〜IceFlaower〜


「ギィーッ!」
冠竜はリィンの横で声を上げてこちらをじっと見据えていた。
「グロウ?」
俺は初めて目の前で見る本物の冠竜に見入っていた。
竜の頭の上、双方の角の間がぎざぎざと冠に見えることから冠竜と呼ばれるこの竜は、鈍く銀碧に濡れる鱗に覆われたその大きな体をリィンに寄せている。
(きれいだなぁ。)俺は竜の深い碧の眼を見ていた。
「クーーッ」
竜はまるでリィンを愛しむかのように頭部をリィンの方へもたげた。
「グロウ、彼はいいの?」
リィンのアメジストの瞳がグロウと呼ばれる竜の眼を覗き込む。この竜の側にいるとリィンはまるで女の子に戻るかのようだ。
「リィン、彼が君の竜?」
おもわず彼といってしまったのは、この竜に知性を感じたからだった。
「ええ、そう。めずらしい...グロウが私以外の人前に出て警戒しないのは。てっきりあなたを襲うと思ったのに」
(襲おうとしたのはこっちだよ。)
俺は先ほどの行動を後悔していた。いくらなんでも性急過ぎた。リィンはあんなにも脅えていたのに...。グロウに殺られていても文句は言えなかったであろう。だが彼は珍しく俺を襲わなかったらしい。今まではリィンに無理やり言い寄るやからを蹴散らしてきたはずなのだ。
「俺が本気だからかな。」
「えっ?」
リィンはグロウの頭を抱きこちらをみて驚いた顔をした。
「本気だよ、どうやらいい加減な気持ちじゃないらしい。君を手に得られるんだったら、いつでも彼と決闘でも何でもやってみせるよ。」
少し近づいてグロウの翼に手をかけた。グロウはじっとこちらにガラスだまのような碧の眼を向けている。
「続けて二度も君の嫌がる事をしてしまったのは詫びるよ。でもあんまりにも君が脆く見えてしまったから...張り詰めた糸が切れてしまいそうに見えたんだ。」
リィンの顔色が変わった。
「やめろ、淑女じゃあるまいし。私は剣士だ。義父母を殺したやつらを見つけ出し、てこの手で切り裂く迄私は女であることを捨てたのだ!私はおまえが思うような女ではない、迷惑だ!あんたはあの皇女様の相手をしてればいいじゃないか!」
リィンは顔を真っ赤に怒張させて、俺を睨み付けた。今までで一番人間らしい感情を見せて。
(そういわれてもな...)無理なことをいう。
「義父母が殺された後、グロウと供にこうやって生き延びてきたのは敵を討つためだ。剣の腕を磨き、一人前になって国に帰ったのも、こうやって義父と同じ仕事をしていればいつかあいつらに出会うこともあろうかと待っているんだ!こんどこそ私はやつらを!」
まるで自分に言い聞かせるように彼女は言った。興奮したリィンをなだめるようにグロウが顔を摺り寄せた。彼女が落ち着くまで何度も何度も...。
二人はこうして今まで生き延びてきたんだろう。12の時からずっと...あのあと気になって調べたチームの資料にはたしか19と書いてあった。彼女が腕を買われて特別扱いでガーディアンになってからまだ一年も経っていない。それまでどんな日々を過ごしてきたんだろうか?
「リィン...」
俺は少しだけ彼女に近づいた。
「きっと何があっても俺の気持ちは変わらないだろう。たったの二日間でこんな気持ちになるなんて、俺自身が信じられないぐらいなんだけど。君の秘密は守ろう。そしてグロウとともに君を護ろう。それぐらいはいいだろう?」
グロウがその鼻先を俺の方へ向けた。どうやら認めてくれたらしい。そうしてその大きな翼を羽ばたかせ来たときのようにバサッと飛び去っていった。
残されたリィンは少し不安げにしていたが
「グロウと同じだと思えばいいんだな?」
そういってこちらを見た目は少しいつもと違って見えた。
「当分はそれでいいよ。」
とりあえず俺たちは並んでキャンプのほうへ戻った。もうすぐ出発の時間だったから。

《リィン&ジェイク》イラストbyまっき〜

今度の移動はかなり大掛かりだった。当分は皇女の国元まで街らしい街は当分ない。平原を走り、大きな森を抜けるまでが勝負だ。我々ガーディアンは訓練したトルバという大きな二本足の鳥に似た竜の一種を移動用に利用している。いざというときはよく走るし、人を乗せずになら短時間空に飛び上がれる。しかし皇女様ご一行は皇女用に輿と車をつかっているので山岳地帯は迂回になる。大きな四本足のディホールという力の強い獣に引かせているが、こいつに車では山道はきついのだ。
 森に入るまで10日間、まともにキャンプもはれず、水分も規制され昼夜を惜しんでの強行軍は続いた。輿の中の皇女は侍女とともに乗っているおばばに、風呂に入りたいだの水が足りないなどとかなり騒ぎ立てていたが、あんまりうるさいとおばばがこっそりと秘薬で眠らせていた。騒ぐと体力も消耗するからひたすら邪魔なのだ。俺としては呼びつけられなくて助かったが。
平原は隠れるところのない分、モンスターも少なくとりあえず森に入るまでは順調だった。次の森はあんまり安全は保障できないところだが迂回もできなく、そのまま突き進み皇女の国まで直進のルートだ。

リィンとはあれ以来何度か並んで走りながら話したりもした。とりあえずはグロウ並とはいかないが信用はしてもらえたらしい。
 口数少ない彼女の話を繋げると、彼女の義い親は剣豪で知られたディーノ=クロスのことだった。何年か前に旅先で亡くなったとは聞いていたが養い娘のことは誰も知らなかったらしく話にものぼっていなかった。リィンは12までディーノに剣を仕込まれていたらしい。通りで腕が立つはずだ。
 リィンにはこの七年間話をする友人もいなかったらしい。少しづつだが自分のことも話してくれた。これも俺を信用してくれたグロウのおかげだと感謝するべきだろう。それほどリィンと彼の絆は強いのだ。
だが少しでも俺が近づいたり、肩先が触れるだけでも、リィンの体が緊張し強張るのが分かった。これでは彼女が怯えなくなるまでは手を握るどころか、触れるような距離にも近づけないだろう。このままグロウのように見守っていくべきなんだろう。時が来るまで...
「ディーノに拾われたとき雨に打たれていて、高熱を出して三日三晩生死をさまよったらしいの。そのショックでかそれまでの記憶をなくしてしまって、不憫に思ったディーノが引き取ってくれたんだ。」
グロウはディーノ達養い親を殺された後深い傷をおって意識を失って行き倒れていたときに側にいてずっと傷がいえるまで食べ物と薬草を運んでくれたらしい。だがこのときのことはあまり詳しい話はしてくれなかった。養い親の敵のことも...

「ジェイクは?」
平原を後わずかに残した頃、リィンが聞いてきた。シルビアはおばばの薬で眠っているので、興の車の側をトルバを並べて歩いていた。
「俺はたいして変わったことはないかな?両親は揃っていたしね。12で訓練施設に入るまではじい様が俺の教育係だったんだ。剣や学問色々とね。15でガーディアン入りしてからは一度も国には帰ってないなぁ...」
ふうん、と彼女は「寂しくはないのか」と聞き返してきたが
「男だからね。」
とだけ答えておいた。
「もうすぐ森に入るだろう。水源だけでも見つかればいいんだが...」
俺は残り少なくなった腰の水入れを振ってみた。ちゃぷちゃぷとわずかな音がした。一口飲んでリィンに飲むかと聞いた。
「少しもらうよ。」
リィンは俺から水入れを受け取って口をつけた。唇が濡れて紅くなるその横顔にどきりとした。
(なれないな、まだ...)

「森の入り口だ!」
先発隊が元気よく駆け出していく。輿の車ではさすがにシルビアが起き出して来てようやく変化し始めた風景を眺めてはまたうるさく話しかけてきた。つかまってしまった俺を尻目に、リィンはふいっと隊列を離れて後方へ行ってしまった。
「ねぇジェイク、もう森へ着くの?水浴びはできまして?わたくしもう我慢できませんのよ。同じ女でも平気な方はいらっしゃるようですが、一刻もはやくなんとかしてくださいませんこと?」
(平気じゃないだろうけどね...)
近頃リィンとよく話をしているのをよく思っていないのか、やたら彼女につっかかる話し方をする。
「まず飲み水の確保が先ですが、それがなんとかなれば考慮いたします。」
ガルディスに眼で合図を送るがくすくすと笑ってこっちに助け舟をよこさない。
(あの野郎、見ればわかるだろうに!)
「ジェイク、グロウが水源を見つけた。行ってくる、皇女は任せるから!」
隊列に戻ってきたリィンまでが、クスリと笑ってすり抜けていく。
「ガルディス!」
今度の合図は判ったらしく、すぐさまリィンの後を駆けていく。単独行動させるわけにはいかない。出来るなら自分が供に駆けて行きたかったのだが、任務上それもままならない。やみくもに探すよりもと、グロウをつかって空から探してくれていたのだろう。
「まぁよかった。ではすぐに湯浴みの用意をさせてね。」
シルビアはまだ呑気なことを言っている。水が見つかっても、安全を確認して、キャンプを張ってからだというのに...おまけに飲み水を我慢しているものも大勢いる。得体の知れないモンスターが出ると噂されるこの森では、油断は禁物なのだ。

伝達隊のパロスの案内で俺達が森に入った頃には、キャンプ地が選ばれ荷解きが始められていた。いつもなら俺の仕事であったのに、皇女様のお守りをしている俺にリィンが取って代わっていた。森にはかなり詳しいらしく野営の知識もたいしたもんだと後で指揮官のドン・クリオから聞いた。キャンプ地に適した平地を探し出し、水源の小さな川をも見つけていた。グロウが森の上から探したのだから間違いはないはずだが、ドンはグロウを知らないのでひたすら驚いていた。
中央に皇女のテントが張られ、その周りに護衛隊のテントが囲まれていった。ぐるり周りが開けているので敵襲にも対応できるだろう。
シルビアはさっそくテントの中で水浴びの準備をさせていた。こうなるとおばばとリィンに任せるしかない。俺はテントを離れて森の方を見回りに行った。
かなり広く森が途切れている。森の中へと入っていくと、小さな幅1フィーもない川がある。何人かが水を汲みに往復していた。
(この辺までかな、行動できるのは...)川を軽く跳び越して、辺りを見回した。そのとき森の奥からバサッと音がした。後を川の方を見るともう水汲みの連中はキャンプへ引き返した後だった。
(俺だけか...)剣に手をかけて息を殺して気配を消した。
「ギッ」と声がする。
「グロウか?」
緊張を解いて森の奥へと入り込む。
「いいとこみつけてくれたんだな。」
グロウは深い碧の眼でじっとこちらを見下ろしている。
「お前の好物でもこんどリィンに聞いておくよ。ご苦労だったね。こんな近くにいて大丈夫なのか?」
めったに人前に出てこぬ冠竜にしては珍しいことだ。
「うーん、なにか理由があるのか?リィンなら判るんだろうけどなぁ。」
何も答えないグロウの体をぽんぽんとたたいて「とりあえずリィンに伝えておくよ」といってキャンプへ戻ろうとした。
「ジェイク?」
振り返るとリィンが立っていた。
「グロウの気配がしたから来てみたんだが...」
グロウの姿勢は変わらない。
「なんかグロウが言いたいことあるみたいにみえるんだが...」
俺はいきなり現れたリインに、どぎまぎしながら答えた。
「あぁ、近くにといってもグロウの感じる範囲内だけど、何かいるみたいだね。そういう時はあんまり私の側を離れないんだ。」
グロウの碧の眼を見ながら羽を撫ぜてやった。
「あぁ、皇女様が呼んでたぞ、ジェイク。」
リィンはシルビアが俺を探していることを伝えに来たらしかった。
だが俺はすぐには戻る気になれずに、二人でグロウの前に並んで辺りを見回していた。

「リィンは水浴びしないのか?」
リィンは黙って剣に手をかけた。
「喧嘩を売ってるのか?ジェイク・ラグラン」
「違うよ!俺なんかでもさっきバケツの水かぶったぐらい、平原の土ぼこりはすごかったから、見張りでもと思ってだよ!」
「そのほうが危なくないか?」
焦る俺にクスリと笑みをくれて剣から手を離した。
「俺以外の者に本当のリィンを見せたくないだけなんだけどなぁ。」
リィンの肩がびくりと緊張を伝えてくる。瞳は冷たく細められる。
「そう思うぐらいはいいだろう?」
ふっとリィンはため息ついた。俺の軽口に慣れつつはあるのだ。
「!」
バサリとグロウが飛び立った。
(何かが近づいてきている)
リィンと目配せして二人背を合わせて気配に対抗した。
「キィーーーーーーーーッ!」
ガサガサと音を立てて木々の間を影が渡ってくる。
「来る!」
リィンは頭の上の木の枝に向かって剣を一閃した。
一つや二つの影ではなかった。バサッっと払われた枝からは茶色く短い体毛に覆われた獣が落ちてきたがすぐにまた木に戻る。
モンクと呼ばれる森の木の上に住む猿人獣だ。群れているが、めったなことでは人は襲わないはずだ。
「はっ!」
俺も負けじとなぎ払う。しかし、素早い動きのため枝を払うぐらいで影を払えない。
「おかしな動きだ、リィン。殺気はないが変だぞ!」
長い手でぶら下がっている獣の眼がうつろなのだ。しかしこちらにぶち当たってくる。
「うわっ!」
体当たりされた勢いでリィンが川の中へ転げ落ちた。
「リィン!?」
浅い川だからなんともないが、彼女は日ごろから軽量の鎧ははずさない。水の中は少し不利だろう。
「ジェイク、見ろ!」
モンクたちは供に川にはまったり、リィンの落ちたしぶきがかかった者達はふいに動きが鈍りだした。しきりに頭を振ってこちらをじっと見てくる。眼が先ほどの虚ろなものから、澄んだ野生のものに変わっていた。
「何かに操られているんだ!水をかぶると正気に戻っていくぞ!」
二人して群がってくるやつらに必死で水をかけまくった。

先ほどの騒ぎが嘘のようにやつらはすべて森の奥へと帰っていった。俺はリィンとふたり川の中で立ちすくんでいた。
「ドンに報告せねばなるまいな。意図的なものを感じるし、キャンプの中に飛び込まれていたらと考えると怖いな。」
リィンを振り返りながら言った。
「あぁ...おかげでとんだ水浴びになってしまった。」
リィンは濡れた髪を払いながらこちらをついと見上げてきた。
「急いでキャンプへ戻ろう。」
ドキリとしたのを隠しながら岸へと上がった。だがリィンは普段から厚着だし、皮の鎧が水を吸って重いのかなかなか岸へとあがれなかった。
「リィン。」
手を貸そうと俺は自分の手を差し伸べた。
「ありがとう...」
こんなことでもなかったら決して触れることなど許してはくれないだろうその手をとった。
「急ごう。」
俺達は水を含んで重いからだをキャンプまで走らせた。


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