キャンプは異様な風景に変わりつつあった。先ほどの倍以上の数のモンク達がうつろな目のままキャンプになだれ込んでいたのだ。
「リィン、シルビアを頼む!俺はドンに報告する!」
「わかった!」
リィンは中央のテントへ向かっていった。俺は側にあった汲んできたばかりのバケツの水をとると、そいつらにぶっ掛けながら突き進んだ。
「こいつらは水が掛かると正気に戻るぞ!水を掛けるんだ!」
反応のいいものはすぐさまバケツの元へ走り寄り、やつらを追い払い始めた。
「ドン!」
ドン・クリオは何匹ものモンクに捕りつかれていた。大太刀でそいつらをなぎ払いながらもがいているドンに残ったバケツの水を頭からぶちまけた。
「こいつらは操られているんだ。水が掛かると正気に戻る!」
ドンの体から離れたモンク達は二三度ふらつくとお互いを見回しては森へ戻っていく。
「そうか、ジェイクこっちは俺が立て直す!いいからお前は皇女様のとこへ早く行け!」
駆け出した俺の背後でドンが水の手配を始めるのが聞こえていた。
「リィン、ガルディス!シルビア皇女は?」
皇女のテントへ駆け込むと傷を負ったガルディスにリィンが血止めをしていた。
「ここにだけ腕の立つ奴等がモンクと一緒になだれ込んできやがったんだ...」
ガルディスは左肩から腰近くまで斜めにばっさりと一太刀で切り裂かれていた。
(すごい腕だな、これは...ガルディスだってそこそこ腕が立つんだ。なのにこの太刀筋は...)
「私が戻ったときにはもう...」
このテント内だけが別世界かのように悲惨な風景が並べられていた。お付の侍女も親衛隊の警護員もすべて絶命していた。
「私が...!皇女の我儘など聞き流していればここを離れなかったのに!!」
彼女は皇女に言われて俺を呼びに来ていたと言っていた。
「いや、俺が頼まれたのに、気ぃきかしてリィンに呼びに行かせた俺の判断ミスだ。きっと奴等狙ってやがったんだ...お前ら二人の腕を知ってて、わざわざいなくなったところを狙いやがって...」
(そっか、あのお姫さんがわざわざ俺を呼びにリィンをこさせるはずがねぇよな。ガルディスの野郎気がついてたのか?俺の気持ちに...)
「もういい、ガルディス黙ってろ。救護班をよこすからな!」
外に出て人を呼ぶと伝令係のパロスが飛んできた。
「負傷者はこのテントから頼む、ガルディスが重症だ。あとはもうだめだろう...。ドンに体制を立て直したらすぐにシルビアの捜索隊を出すように伝えてくれ。」
リィンの方を振り返った。彼女はすでに荷物をまとめ出撃の準備を整え始めていた。リィンはずぶ濡れになっていたので水を含んだいつもの皮の鎧を下ろし、予備で持っていた左胸だけを覆う金属の胸当てに替えていた。軽装になったその分腕あてとすねあてを金属入りの物にしていた。
「俺とリィンはすぐにすぐにシルビアを追う。連絡は取れないかもしれないがな。リィン、グロウに頼めるか?」
こうなったらあの冠竜の力が必要だ。あてもなく探すには人間の力なんてたかが知れている。しかしこのままにはしておけない。ガーディアンの誇りに掛けて。
「あぁ、ふたりなら何とか飛んでくれるだろう。ジェイク、すぐに向かおう!」
パロスがテントを飛び出した後を追うようにして俺達二人は駆け出した。
「ピューッ!」
リィンが指笛でグロウを呼んだ。すぐさま彼はリィンの側へ舞い降りてきた。
「グロウ、わたしとジェイクを乗せて、シルビア皇女をさらった奴等を探してくれるかい?」
リィンの問いかけにすぐさまグロウは体を低くし、俺たちを背に乗せることをゆるした。
バサリと大きな翼を広げグロウは一気に空へと舞い上がった。俺はリィンの後ろで言われたとおりしっかりと足でグロウの体をはさみ、後の背びれにしがみついていた。
「うわっ!」
なにしろ空を飛ぶなんて生まれて初めての体験だ。こんな緊急時でなかったら生来楽天家の俺は、きっと存分にこの空中飛行を楽しんだことだろう。眼下を見渡してロマンチックな気分にでもなっていたはずだ。おまけに俺の体の前にはリィンの体がここぞとばかりに密着している。背びれと背びれの間はそんなに広くないのだ。
(こんな事態じゃなければ、くどき文句のひとつでも彼女の耳元で囁いているのになぁ)
だがこんな時だからこそリィンに警戒心を持たせるわけにはいかない。めいっぱい、出来る限り体を離していた。腕がだるくなるほど力をいれて背びれにしがみついて...
「ガルディスが見た奴等は、一人が長身で長刀を持つ男、そして大柄な三節昆を持つ男、最後にガルディスに斬りつけた大太刀をもつ男、口髭と頬に傷のある男らしい...」
必死で体を離しているのに、聞こえないだろうと、わざわざ体を寄せて話しかけてくる。戦闘体制にはいると気にならくなるらしい。
「すぐにシルビアを殺さなかったところを見ると誘拐だろうか?」
リィンの瞳はじっと自分の手元を見ているようだった。
「リィン?どうしたんだ。」
「もしかしたら...」
聞こえにくかったので、今度はこちらから顔を寄せていった。
不安定なので後でなく前の背びれをつかむ。自然とリインの背に身体が密着する。
「私が探していた、敵かもしれない。」
「なんだって?義父さんの敵?」
リィンがうなづく。
「大太刀と口ひげ、そして頬の傷、背格好まで、ガルディスに聞いた限りでは、特徴もつながる。」
冷たい眼をした奴だと付け加えた。俺は下をむいたまんまのリィンがまたうっ血するほど唇を噛んでいるのではないかと心配した。
「リィン?大丈夫か?」
返事がない。こちらも見ずにずっと下を見ている。この間のように神経を高ぶらせているでもない。
(リィンは何かに恐れている?)俺は彼女を強く抱きしめたい気持ちを抑えて、冠竜の背びれごとそっとリィンを包んだ。
「お前はもう一人じゃない。俺だって、グロウだっている。第一の目標はシルビアの救出だが、俺はお前を失いたくない。そりゃ敵は取らせてやりたいさ。だがその傷の男がお前の探している男だとしたら、ディーノやガルディスを倒すほどの腕の持ち主だ。今回の手際のよさといいおそらく雇われているプロの仕事だ。私情のみでは戦えないぞ。」
耳元にふれるほどの近くにいても、リインの背中は俺を拒否してはいなかった。鎧のない無防備な背中。――護ってやりたいと思った。
「もちろんシルビア皇女の救出が先だ。それは分かっている。おばばの姿がなかったろう?きっと何らかの形でシルビアについてるはずだ。おばばの力を借りればなんとか助け出せるだろう。彼女達を救出したらグロウを使って脱出してもらってもかまわない。あとは私に任せて欲しい...」
「ばかやろう!リィン一人置いて逃げろって言うのか?グロウが二人を乗せてくれるなら俺が残る!第一グロウがお前だけ置いて行くはずがなかろう?」
リィンはしばらくは考え込んでいた。
「私が奴に負けたら、殺してくれるか?」
「あぁ、もちろんだとも!必ず俺が命に換えても!」
「いや、私を、だ...」
「えっ?」
どういうことだと聞き返そうとした矢先、グロウが降下し始めた。
「ジェイク、見ろ!」
リィンの指差す方に眼を凝らしてみる。黒い点のような5.6人の影が森の切れ間に見え隠れする。低空になるとそのうちの大きな男が人を担いでいるのが見て取れた。グロウは気付かれぬ様その斜め前方に距離を置いて着地した。
「グロウはここにいておばば達が着いたら乗せてやってくれないか?」
リィンはグロウの銀碧の身体を撫でながら頼んでいた。冠竜は不服そうに鼻先でリィンをこづいた。彼女を護るためだけにここにいる彼には、それは聞き入れられない類のものだっただろう。先ほど言いかけていたリィンの言葉も俺は気になっていた。
「グロウ、リィンは俺が命に換えても護って見せるよ。いったん二人を安全なところへ運んでくれ。頼むよ。」
俺の言葉にしぶしぶ納得したグロウはその場に身を隠した。
(男同士、信じてくれよな。)俺達は回りこんで奴等の来る道の脇に身を隠した。
「どうするつもりだ?」
リィンになにか考えがあるようだったので、とりあえず従ってきたが、命がけの行動だ。聞いておかなければやはり不安だった。
「とりあえず切り込もう。おばばとは連絡が取れないが、あの中にいなかったら必ず外部から援護してくれるはずだ。」
リィンはちょっと分厚目の布切れと薬草を出してきた。
「キリーの葉だ。少し匂いがするが、他の薬の効果を消してくれるはずだ。これを挟んで鼻と口を塞ぐんだ。おばばにもらったしびれ薬を使う。量が少ないのでどのぐらい効くかはわからんが...」
「では俺が先に切り込む。その隙にシルビアを頼む。」
「わかった。」
二人してその布を顔に巻いた。そしてそのまま気配を消した。
リィンが風上に回り薬を撒いた。シルビアを担いだ男の足元がふらついたのが合図だった。
「はっ!」
まず俺が手前の長身の男に切りつけた。奴等がひるんだ隙にリィンが大柄の男に切りつけてシルビアを受け止めた。これで一人。
こちらを向いていた男達が一斉にリィンの方に向いた。
「皇女をこちらへ!」
しわがれたおばばの声がした。リィンはすぐさまシルビアをおばばに預けるとグロウのところへ行くように指示した。
「わかりもうした。」
おばばは引きずるようにシルビアを連れて行く。後を三人が追いかけようとしたところへリィンが切りつける。これで二人。すぐさまおばばが残りの二人に何かを投げつけていた。
「バフッ!」
煙と軽い爆音を立てておばばたちの姿をかき消した。
俺は最初に斬りつけた長身の男にようやくとどめをさした。これで三人。
「リィン!」
彼女ももう一人と剣を交えていたがそのすばやい動きで腰から上に斬りあげた。これで四人。
「でえやぁーっ!」
残る一人に俺は肩先から斬りつけた。これで五人。
(おかしい、後一人いたはずだ!)
「奴はいたのか?」
リィンのもとへ駆けつけた俺は聞いた。
「いない!奴がいない!」
リィンの剣を持つ手が小刻みに震えているのがわかった。
「シルビアたちが危ない!」
俺たちは急いだ。
(間に合ってくれ、グロウ!)
「きゃーーーーっ!」
シルビアの甲高い声が響いた。
「シルビア!」
グロウの待つ木立まで駆けつけるとおばばに支えられたシルビアがグロウの手前で一人の男に剣を突きつけられていた。
「あぁ、ジェイク!助けて!」
おばばの手には短剣が握られていたが、到底かなう相手ではないだろう。その男から発せられている異様な殺気。おばばにもそれが尋常のものでないことがわかっているようだった。
「あの男だ...」
リィンがぼそりと口にした。
「奴だ!」
その瞬間リィンは飛び出していた。
「リィン!?」
「はあぁっっ!」
呼んだその瞬間斬りつけていた。リィンならではのすばやい切り込みだった。しかし、いつもより力が入りすぎている。それが一瞬の剣先のスピードを鈍らせていた。
「キィーン!」
リィンの剣がはじかれる。
おばばはその隙にシルビアを冠竜に乗せ、自分も乗り込んだ。
すかさず俺も奴に斬りつけた。
「いまだ!行けっ、早く!」
グロウは大きく羽ばたいて舞い上がりすぐさまその姿を消す。
「ちっ、こんなのがいやがったのか...予定外だぜ」
低い声だった。
二人してそいつに相対する。異常なほどの緊張感、俺の五感がこいつは危険だとキリキリ悲鳴をあげている。
隣のリィンを見ると同じく額に汗していた。顔は青ざめかすかに身震いしている。
「ふん、せっかくの大仕事を逃しやがって、これだからガーディアンって奴は嫌いなんだよなぁ。」
そいつは大太刀の刃をぺろりと舐めた。冷たい爬虫類の眼をした男だ。
「くそっ!」
リィンが呻いてもう一度斬りつけた。しかしその太刀筋ではかなうはずもない。
「はっ!」
軽くいなされ、奴の剣先がリィンの右肩から胸当てをつるす皮ひもまでざっくりと斬りつけられた。
「リィン!よせ、今のお前では無理だ!冷静になれ、いつものお前に戻るんだ!」
リィンの胸元は切り裂かれ、あの時見た胸の十字の傷が現れた。
「ほほぉ、その傷は...懐かしいじゃねぇかぁ、アン時のお嬢ちゃんだな?」
(えっ?)
リィンを振りかえり見る。がたがたと肩を震わせている顔面は蒼白だ。瞳の焦点もあっていない。
「くっくっくっ、そいつは俺の女の印だったよなぁ。髪の色が変わってっから気がつかなかったぜ。やっと見つけた!探してたんだよぉ、死んじまってねえか心配してたんだぜ。」
「やめろーーーっ!」
リインが震える身体を押さえ込みながら奴を睨み付けた。
恐ろしいほどの憎悪の炎で揺らぐあのアメジストの瞳で...