月がほほえむから

10.側にいていいですか?

5月の短答試験に向けて、どんどん集中していく。

あの夜以降、あたしはちゃんと眠れている。
まるで憑き物が落ちたみたいに、すっきりとして集中できていた。
気のせいかもしれないけど...遅くまで勉強していて、台所に飲み物を取りに行ったりすると、凄くいいタイミングで宗佑さんが部屋から顔をだしてくれたりするのだ。
「日向子さん、お腹空きませんか?夜食でも作りましょうか?」
調理人である宗佑さんはそう申し出ると、手慣れた作業で手早く軽食を作ってくれる。やっぱプロだなぁって思う瞬間。パジャマ姿のまま台所に立つ宗佑さんの姿にしばし見惚れてたりもする。
あの夜以降、眠れるだけじゃない。宗佑さんとぎくしゃくしてたのも前のように戻れた気がする。それは、まあ、あたしが家族のような従業員で、それ以上は望まないからココにいたいと言う気持ちを受け入れて貰っただけなんだけど...
『あんまり遅くまでやりすぎると、身体こわしますから、気を付けて。』
優しい言葉もかけてくれる。なんだか大事にされてるようですっごく嬉しい。

「ひなこ〜、おれもべんきょうする〜」
あたしの勉強漬けに影響されたのは圭太くんだった。あたしと一緒に居たいがために同じテーブルの隣に座って黙って勉強に励みだす。宿題以外に問題を出してやると喜んで解いてたりするのを見てるとすごく気分転換になる。
「おや、圭太頑張ってるね〜おまえも宗佑に似たのかねぇ、勉強好きだね。」
女将さんがおやつを持ってきてそう言った。
「とうちゃんもべんきょすきだったのか?」
「ああ、よく勉強してたよね。本当ならあのまま企業にいればそれなりの地位についてただろうにねぇ...」
ため息付ながら思いをはせる女将さん。宗佑さんの若い頃って?元気いっぱいの圭太くんのような彼は想像できないなぁ...
「宗佑さんってそんなに出来たんですか?」
「ああ、そりゃもう...あっ...」
「かあさん、何をいらないこと言ってるんですか。」
そばまで来ていた宗佑さんが一睨みすると、女将さんはそそくさと厨房へ戻っていった。
「日向子さん、しばらくはうちのことも、店のほうもいいですから、勉強に集中しててください。圭太は...見てもらえれば助かりますが。」
「それは嬉しいですけど...でも、せめてうちのことだけでもさせてください。」
だってそこまでは甘えられないのに。
「食事は厨房でも作れるから、無理しなくていい。他のこともなるだけ母とふたりでやるから日向子さんは勉強なさい。司法試験の学科もそう簡単なものじゃないってことぐらい僕でも知ってますよ?」
「あの、ほんとにいいんですか?」
「ああ、構わないよ。郁太郎にも、当分日向子ちゃんは無理できないって言っておいたよ。」
「あ、ありがとうございます...あたし、頑張ります。」
頑張って合格しても、それでもまだここにいていいと言ってもらえたから。だから安心して頑張れる。あたしの居場所がここにあるなら、いてもいいなら、ずっと...



「やるだけやったから...あとは、もう結果待ち...」
5月の短答試験には合格したものの、そのあと7月頭にあった2日間にも及ぶ論文式試験中までは、生きた心地はしなかった。当日は女将さんのお手製のお弁当に励まされながら何とか試験を乗り切った。論文式試験の合格がわかったのは、すでに10月。大学の友人がインターネットで合格を調べて教えてくれたなかにあたしも入っていた。続いて行われた口述式試験がようやく終わり、あたしは疲労困憊した身体を引きずって食堂に戻ってきた。
「ご苦労さん、よく頑張ったね。結果は気にせず、今日ぐらいはゆっくり休みなさい。」
「宗佑さん...」
優しい目だった。すっごく優しい目であたしを見てくれてるこの瞬間...合格したコトだって飛び上がりたいほど嬉しいけど、こうやってあたしを見てくれることが嬉しい。でも一人になると不安で押しつぶされそうになってしまう。悪い結果が出るのが怖くて...
「けど、今日は定休日だからさ、厨房に火も入れてないしさ、久しぶりに圭太連れて食事にでも行っておいでよ。あたしは家にいるからさ。」
「いきたいっ!」
女将さんの提案に、即返事をして飛びついてくる圭太くん。さすがに今日まで、あたしもぴりぴりしてたみたいで、圭太くんはあんまり擦り寄ってこなかった。寂しかったんだろうなぁ、おっきな目キラキラさせて、期待でいっぱいの笑顔を見てると、不思議と元気が出てくる。
「いいんですか?郁太郎と約束とか...」
またその名前出す...5月からこっち、外では一切会ってません。電話でだって話してない。短いメールやりとりしてただけだった。
「してませんよ。ね、圭太くん、食事にいこっか?どこがいい?」
抱き上げて頬擦りしちゃう。この半年でまたぐんて背が伸びた圭太くん。
「うん、ひなこーのすきなものでいーからなー」
もう、やっぱり可愛いっ!

「おいしかったね、圭太くん。おなか一杯?」
「うんおいしかったー!」
可愛い笑顔がはねる。
宗佑さんオススメのお店は子供連れでも大丈夫かなって思うくらい落ち着いた雰囲気の、でも暖かな街のレストランだった。簡単なコースも、子供向けのメニューもあって、すごくおいしかった。どうやら宗佑さんの知り合いの店らしい。
今夜は乾杯って、シャンペンをあけてもらったりして、あたしもほんのりと赤ら顔。今日だけは結果のことを忘れて、楽しもうっておもったの。
帰り道、圭太くんお気に入りの両側お手々繋いでブランコしながら歩いていた。少し遅い時間だから圭太くんの明日の朝が心配なんだけど...
「ひなこーおれ、ひなこのしけんがおわったらおねがいがあったんだー」
「なあに、いいわよ〜何でも聞いちゃう!」
「えっとね、よるいっしょにねたい!おれ、川のじならったんだ。川のじでねたい!」
それって...親子三人川の字ってやつ?あたしも圭太くんはさんで、宗佑さんの横で寝るってこと?
「圭太、それは無理だから。」
苦笑する宗佑さんに、圭太くんが必死で川の字を主張する。やったことがあるとか、ないとか、クラスで話題になったらしい。その一生懸命さが可愛いんだけど、叶えてあげるわけにはいかないよね...
「ねえ、いいでしょ?」
「う、ん、女将さんとじゃだめなの?」
「ひなこととーちゃんがいいのっ!」
ちょっとムキになった表情。今まで言いたいことや我が儘いっぱい我慢してきたんだよね?それを考えると、簡単に駄目って言いにくいよ...
「じゃあ、おとうさんがいいって、言ったらね。」
あたしは少し意地悪な気持ちになって、ちらりと宗佑さんの方をみてそういった。あたしは...構わないもの。宗佑さんと同じ部屋だって、なんともないよ?圭太くんもいっしょにいるんだしね。
「日向子さん...」
宗佑さんがため息混じりにあたしをみて、目を伏せた。


「ひなこーおやすみー!」
圭太くんは小学生になってから一人で寝起きしていた。その部屋に二人分のお布団を持ち込もうとしたけど、無理だったので宗佑さんが自分の布団を圭太くんのお布団の隣に敷いた。
「じゃあ、ひなこはおれのふとんにいっしょな?」
かなり無理あるんだけど、まあいいかな?しょうがないと宗佑さんがお布団を近づけて、ちょうど間に圭太くんが寝れるように場所を作った。あたしが圭太くんのお布団に入ると、すぐにすりすりと寄ってきた。暖かいんだよね、子供の体温って...
しばらくははしゃいでた圭太くんもすぐに寝息を立ててくる。
あたしもシャンペンの勢いで寝れるかなって思ったけど、やっぱり宗佑さんを意識してしまって、だめ...眠れない。
「日向子さん、起きてますか?」
「は、はい...」
「圭太の我が儘に付き合わせてしまって申し訳なかったです。もういいですよ、ご自分の部屋に戻ってゆっくり休みなさい。」
「あの、でも、遅くまで起きてる癖がついちゃったので、なかなか寝付けなくって、それに、一人で目瞑ってるっと、不安なんです。」
ちらっと圭太くん越しに宗佑さんの表情を暗闇の中、読み取ろうと目をこらす。こっちを見てないようだったので、あたしはそのまま宗佑さんの横顔のシルエットを見つめ続けた。
「日向子さんはがんばったんですから、結果はどうであれ、あなたがすごくがんばったことは僕も、母も、圭太も、郁太郎だって知っています。だからもし、今回は力不足だったとしても、また来年、がんばればいいんですよ。ここで、がんばればいいですから...」
ここで、この家で、宗佑さんの側で?これは希望的すぎる観測だわ。
「ほんとにいいんですか?居着いちゃって...」
「ええ、妹がもう一人できたようなものですからね。ここからお嫁に行ってもいいって、前に言ったでしょう?」
「妹...ですか、そうですよね、でないと同じ部屋にこうやって眠るなんて出来ないですものね。」
しばらく返事はなかった。けれども宗佑さんが寝入った様子はまるで感じられなくて。
あたしは眠さと、好きな人の隣で眠れることのくすぐったさの間で揺れはじめていた。
「圭太は、母親が欲しいんだろうか...」
聞き取れないほど小さな声で宗佑さんが呟いた。
「そう、みたいですね...」
あたしじゃ駄目ですかと、再び言ってしまいたくなる。今更他の人が圭太くんのお母さん代わりになるのも、宗佑さんの新しい奥さんが現れるのもいやだった。だけど、自分にはそうなり得る可能性がないことは以前にきっぱりと言い渡されている。今更もう言えない。
「あたしがココにいられる間は、足りないかもしれないけど、精一杯圭太くんのことお世話しますから...」
だから誰も、連れてきたりしないで...
「じゃあ、日向子さんがここを巣立ったら、僕も見合いでもしましょうか...圭太のために...」
「えっ?」
いきなり目が覚めた!宗佑さん、お見合い、するの?
「僕のようなコブ付きのところにも見合い話が来てるらしいのでね...けれども、僕は、妻だけでいいです。今更ね...」
「そ、そうですか...」
やっぱり奥さんのこと今でも愛してるんだよね。でも、あたしは、きっと奥さんを今でも忘れない、そんな宗佑さんを好きになったんだ。だから、ずっとこのまま妹でも従業員でも構わない。だから側にいさせて欲しい。こんなに近い距離で眠ることが出来るなら...
「そう言えば、郁太郎のところにもかなり来てるらしいですよ。ああ見えて、見かけも人の受けもいい男ですからね。日向子さん、油断してたら駄目ですよ。」
まただ...これさえ言わないでくれたら幸せな気分で朝を迎えられたのに!
「やっぱり郁太郎にしかられそうですね、日向子さんと同じ部屋で眠ったりしたら...僕は居間にでもいきます。日向子さんは朝まで圭太と居てやってください。」
不意にそう告げて宗佑さんが部屋から出て行こうとする。
郁太郎さんに気を遣って?それともそんなに迷惑?
「お休みなさい。」
振り返りもせずに出て行く背中。やっぱりすっぱりと諦めるべき何だろうか?この思い...

その夜、布団のない宗佑さんが朝まで居間で飲んでいたことも、翌日から再開される郁太郎さんのお誘いの嵐になど気がつかないまま、あたしは圭太くんの温もりを抱きしめたまま朝まで眠りについた。

          

試験終了〜日向子もほっと一息。
更新1ヶ月飛んですみません。余裕なしです(涙)まあ、本サイトのblogで執筆状況はおはなししてますが…
相変わらずな二人ですが、さてどう変化するか、取りあえず試験が終わってほっとした日尚子ちゃんでした〜〜
うう、試験日程設定どうしようかと思いました…