月がほほえむから

11.自分が嫌い

「日向子ちゃん、結果出るまで不安だろ?遊んで気晴らししないか?」
翌朝、戸口に立ってる郁太郎さんはスーツ姿だった。
「あの、昨日終わったとこで、あたしお店の手伝いがあるんですけど?」
「今日一日ぐらいいいだろ?ごちそうしてあげたいしさ。」
ごちそうなら昨日食べましたって、言えないよね...。
「あの、郁太郎さん仕事は?」
「休んだ。何ヶ月我慢したと思ってる?日向子ちゃんに会いたくて食堂に来たって出てこないし、もう限界なんでね、宗佑、日向子ちゃん連れていくぞ!」
郁太郎さんは調理場でお昼の準備中の宗佑さんに声をかける。
「ああ、かまわない…」
「え、でも今日は手伝いのモトさん来ないのよ?」
「いいんだ、かあさん。」
低い声が女将さんの言葉を遮る。今朝の宗佑さんってすごく不機嫌そう...朝ご飯の時も食欲なさそうだし、お酒臭かったりするし...飲んでたのかな?寝てないってことないよね?朝目が覚めた頃にはお布団ちゃんとたたんであったから、戻って寝て、あたしより先に起きたんだと思うんだけど。
「日向子ちゃん、こっちはかまわないから。郁太郎、ゆっくりしてこいよ。」
「おお、なんだおまえ二日酔いか?珍しいな。」
二日酔いなの?宗佑さん...まさか、あのあと寝ずにずっと飲んでたの?どうして...
あたしが部屋を出て行かなかったから?そんなに迷惑だった?
「ああ、平気だよ、このぐらい...日向子さんも昨日まで頑張ったんだ、行っておいで。」
あたしは郁太郎さんに背中を押されて、そのまま店を出た。


「突然デートって誘ったのも悪かったけど、そのかっこじゃどこにも行けないかな?よかったら洋服とか買いに行こうか?俺そんなのやって見たかったんだよなぁ。それ着て食事にでも行こうぜ。」
「いえ、あたしこの服で行けるとこでいいです。まだ結果も出てないのに、そんなのいいです。」
「けど...」
「じゃあ、もし合格したら、買ってください。それ着て食事に行きますから。」
「そう?じゃあ、その時は覚悟してくれる?男が女に服を買ったりするのは、着飾らせたいってのもあるけど、脱がせたい下心も有るって...判ってる?」
「えっと...そうなんですか?」
「まあ、そうじゃない場合もあるだろうけどな。俺の場合はやっぱりそっちだから。」
あたしは助手席で固まっていた。今までも気持ちにストレ−トだった郁太郎さんだけど、ここまでのことは言ってこなかった。
それよりももっと重大なのは、あたし郁太郎さんと付き合ってることになってるの?
「まあ、俺としては日向子ちゃんが合格してからでいいんだけどね、プロポーズもしてるだろ?その答えもいい加減欲しいしさ、だめか?」
今まで、見ないふりしてきたツケかな?郁太郎さんはそのつもりだったこと。
「.......」
でも、答えられない。だって気持ちは変わってないもの。
あたしは宗佑さんが好き。
受け入れてもらえないのも判ってる。ただの従業員だし、郁太郎さんとうまくいけばいいと思ってるってことも判ってる。きっと迷惑なんだよね、あたしみたいなのが目の前にいちゃ...
だけど、いくらそうだったとしても、郁太郎さんと結婚とか、その...服を脱ぐってことはえっちするってことだよね?そんなの出来ないよ...
でも、しちゃった方がいいのかな?宗佑さんはその方がいいんだものね。
「合格したら...買ってください。」
「ほんと?その時は、帰さないよ?」
「...はい」

返事、しちゃった。

結局映画見て、食事して、すこしだけお酒飲んで、酔い覚ましに公園を歩いていた。
「日向子ちゃん、合格してるといいね。」
「うん、でも難しいんだよ。ここまで来れただけでも奇跡だから。」
「あーあ、俺も長かったな。これでも俺、手早いほうなんだぜ?だけど、まあ、なんていうか、日向子ちゃんには簡単に手出せないのもあるけど、宗佑にも言われてたからなぁ。」
「宗佑さんに?」
「ああ、保護者に『試験が終わるまでは手をだすな』って言われたら守るしかないでしょ?こうなったら合格するまでは待つけどさ、そろそろお子様なお付き合いは卒業したいと思ってるんだ。」
「はぁ...」
そんなこと言ってたんだ、宗佑さん...
あたしは下を向いて歩くのをやめてしまった。
宗佑さんは、それでいいの?あたしは...
郁太郎さんのこと、嫌いじゃない。口は悪いけどいい人だし、圭太のこともすごく可愛がってる。きっと子供好き。あたしにはすごく優しいし、好きだっていっぱい言ってくれる。
これから先、郁太郎さん以上にあたしのこと大事にしてくれる人なんて出てこないかもしれない。だけど...
「日向子、ちゃん...」
「きゃっ」
不意に抱き寄せられる。公園で、周りに人がいないと言っても、こ、こんなとこで...
「い、郁太郎さん...やだっ!」
「だめ、離さない...なに考えてる?今はそんな気になれないのも、悩むのも判るよ。けどな、俺と居るときは俺のこと考えろよ。」
その腕から逃れようと藻掻くけど一向に緩まない。それが、郁太郎さんの力、思いの強さのようで怖くなる。
「頼むから暴れないでくれよ、まるで俺が無理矢理してるみたいだろ?俺のこと、少しでも好きでいてくれてるんなら、じっとしててくれ。」
絞り出すような、苦しげで自信のない、郁太郎さんらしくない声だった。
あたしは...動けなくなる。
嫌いじゃないから...だけど顔を上げることも出来なくて、その腕の中が暖かくって、気持ちよくって...苦しかった。
この腕が宗佑さんだったらなんて、ふっと頭によぎった思いを殺しながら、そんなことを思ってしまう自分が嫌で...
「日向子、俺は、本気なんだ...この何ヶ月間か、おまえの邪魔しちゃいけないっておもいながらも、会いたくて、抱きしめたくて...」
郁太郎さんの手があたしの頭を優しく撫でる。捕らえられた腕が緩められたのでほっと一息ついて、そっと郁太郎さんの方を見る。
いつものふざけたような笑い顔は消えていた。真剣な、大人の顔であたしを見てる。
つらそうに寄せられた眉、その視線が怖くて、目をそらせようとした瞬間、あたしの顎を捕らえた郁太郎さんは再び身体を強く引き寄せて...キスしてきた。


「んんっ!!」
逃げられないその強い拘束に、あたしはさっき返事したことの意味をしった。
合格したらいいなんて...気持ちはOKってことにとられてもしょうがないんだ。
馬鹿だよ、あたし...自分で逃げられなくしちゃって。
好きなのは、本当に好きなのは郁太郎さんじゃないのに...
こうやってキスして欲しいのはこの人じゃないのに!
「ううっ...」
唇を固く結んで必死で堪えるのに、涙が溢れてきて止まらなかった。
「ごめん、泣くなよ、日向子...」
あたしから離れた郁太郎さんはそう謝りながら、あたしを優しく抱きしめ直した。
ごめんなさい。
あたしの今の涙は、きっと郁太郎さんが考えてるような涙じゃない。
自分が情けなくって、結局は流されて、こうやって、キスされてしまってる自分、合格したら彼が望むことに頷いてしまった自分の浅はかさに気がついてしまったから。
あたしは、泣きやめなくて、それからずっと泣き続けた。

あたしは自分が弱虫なことに気がついてしまった。
なくしたくないから...今側にある物全部。
だから逃げられない、郁太郎さんから。
彼を傷つけたら、きっと宗佑さんはあたしを許さないだろう。
親友の思いを簡単に踏みにじる様な女の子、きっと嫌いだろうから...

泣きはらした目で送られてからも部屋から出られなかった。
こんな顔見せられない。
宗佑さんには関係ないかもしれないけど、郁太郎さんとキスまでしちゃったんだもの。
あたしは、自分が嫌で嫌でしょうがなかった。


2週間後、試験の結果が出た。

          

日向子、揺れる心。
思うようにいかぬ恋心をかかえて、さあ、どうする?日向子!
次回結果により左右する日向子のこれから…