月がほほえむから

13.それでいいの?


「オレ、日向子にプロポーズしてっから。」
うぐっ!思わず食べてたものを喉に詰まらせてしまった。
あたしは思わず郁太郎さんの方を見た。
ニヤっと笑ってみんなの方を向いたまんま…
女将さんが、まあ、と言ってからあたしの方を向いておめでとうと言った。


あたしの合格祝いの最中、郁太郎さんの言葉で賑やかだった場が一瞬静まりかえってしまった。
「ひなこ...いくたろとケッコンするのか?」
「け、圭太くん、ま、まだ返事してないから...それに...」
「それにって、何だよ、日向子。」
郁太郎さんはあのキスの日以来あたしを日向子って呼ぶ。
「だって、半年は研修で帰って来れないし、進む方向によって、どうなるか判らないから...」
「オレは半年でも何年でも待つぞ?」
「ひなこ、どこかにいっちゃうのか??」
郁太郎さんの言葉に圭太くんが敏感に反応する。
以前に大好きだった椎奈さんと離れる時には、すごく大泣きして、しばらくはすっごく落ち込んでいたって聞いた。
あたしがここに来て、また明るく笑うようになったよって、みんなに言われた。
あたしは自分が役に立ってることがすごく嬉しかった。それを教えてくれたのが圭太くん。圭太くんを通して、色んな人に馴染んで、心を開いて、ふれあえるようになったんだ。
そんな圭太くんともいつかは別れなきゃならないって判ってはいるんだけれども、それが一番辛い。圭太くんがまた泣いちゃうのが判ってるから...
「ごめんね、卒業したら、しばらくは帰って来れないんだよ。」
目の前の圭太くんの表情がみるみる間に崩れていく。
「おれもまつもん!いくたろよりいっぱいまつもん。そしたら、ひなこかえってくるんだろ?いくたろなんかにはやらない!ひなこはおれんだもん!どこにもいっちゃやだ!!」
「圭太くん...ありがとうね、あたしもどこにも行きたくないんだよ。」
「ひなこっ、うえ〜〜ん!」
圭太くんはとうとう泣き出してしまった。あたしはかがみ込んで、その小さな肩が上下するのが止むまでずっと抱きしめていた。
「おれの方が泣きたいんだけどな...けど、それじゃまるでおれは二人を引き離そうとしてる悪者じゃないか?ったく、キス一個じゃ割が合わねえぞ、日向子。」
「い、郁太郎さんっ!」
やだ、宗佑さんの前で言わないでよ!
「郁太郎、気持ちはわかるが子供の前だ、いい加減言動に気を付けてくれないか?」
えっ...宗佑さんが郁太郎さんの味方してない...
「何だよ、宗佑。まあ、圭太には教育上よくはないか...んじゃあ、明日、日向子連れ出していいか?」
「明日は日向子さんは仕事です。彼女に休みの日を確認して、それから申し込んでくれないか?いちいち僕を通す必要はない。けれどもあまり欠勤されても困る。しばらくは圭太の夕ご飯をちゃんとしてやって欲しいしね。日向子さんの試験の間、店の総菜ばかりだったから...日向子さんもそれでいいですか?」
宗佑さんが珍しく笑ってくれてる...
「は、はい!」
あたしはしばらくぼーっと見とれてしまったほど。
どうかしたのかな?いつもの宗佑さんだったら、郁太郎さんと行けと言わんばかりな言い方するのに。
「ちぇっ、宗佑冷てえな、それが長年の付き合いのおれにする仕打ちかよ?」
「泣く子となんとやらには勝てないっていうだろ。」
「おまえはいっつもそうだ、しれっとしやがって、何考えてんだよ...」
「別に、僕は...」
「日向子が来てから、ヤケに丁寧な言葉ばっかり使いやがって、それで一線引いてるつもりならいいけどな。」
「郁太郎っ...」
あれ、二人の雰囲気がおかしい??
「だったら、日向子の意志で帰りが遅くなっても、帰ってこなくっても文句はなしだよな?」
「それは...日向子さんも大人ですから...けれども家族として心配しますので、連絡はちゃんと入れてください。」
家族って...あたしのこと家族って言ってくれるの?
うれしかった...少なくとも嫌われてないし、圭太くんのためでもこうやって庇ってくれるんだ。


その日、郁太郎さんは飲むだけ飲んで居間で酔いつぶれてしまった。
あたしは圭太くんを寝かしつけてから居間にもう一度戻った。
さっき圭太くんがいきなり一緒に寝ようって言い出してすごく焦ったんだ。
『おれ、きょうはひなことねる!ひなこーおれのおふとんでいっしょにねようよ?』
そう言ってあたしの腕を引っ張る圭太くんは、いつもより少し我が儘だった。たぶんさっきの郁太郎さんの言葉で不安になってるんだろうなって思ってた。
『じゃあ、とーちゃん、おれひなことさきにねてるから、とーちゃんもはやくきてよね?』
『え?』
驚いたのは郁太郎さんで、宗佑さんは思わず頭を抱えてた。
『圭太、日向子と同じ布団って、圭太の部屋でか?』
『おう!川の字したんだぞ、いいだろ、いくたろ。』
それを聞いた郁太郎さんの顔が少し怖くなっていた。笑ってるんだけど笑ってないのが判るんだもん。
『へえ、いいな、オレも日向子と一緒の布団で寝てえな。日向子の部屋ってどこだっけ?行ってもいいか?』
『えっ?』
何言い出すんだろうって思った。そんな、圭太くんに張り合わなくったっていいのに...
『郁太郎、日向子さんが固まってます。悪い冗談はやめて...まだ飲むでしょう?』
はあ、驚いた。宗佑さんがまた助け船を出してくれたので、あたしはそのまま圭太くん連れて部屋に行ったんだけど、帰ってきたら、未だ一人で飲んでる宗佑さんと酔いつぶれた郁太郎さんの姿があった。
「郁太郎さん、寝ちゃったんですね。」
「ああ、しょうがないね...日向子さん、布団持ってきてもらえますか?」
「はい、じゃあとってきますね。」
あたしは納戸から布団を出してきて、シーツを付け替えた。
「日向子さんは...郁太郎のプロポーズ、どうする気なんですか?」
宗佑さんは郁太郎さんを布団に寝かせるとコチラを向いて小さな声で聞いてきた。
あたしの意志を聞いてくれたのって、はじめてかも?
「あのっ!あ、あたし、結婚なんて考えられないです...まだやりたいこともいっぱいあるし。郁太郎さんがあたしのこと思ってくれるのすごく嬉しいんだけど、どう答えていいか判らないんです。だって、女将さんや圭太くんに対する好きって気持ちと、どう違うか判らないし...」
宗佑さんはまたテーブルのお酒に口を付けていた。
「でも、日向子さんは、郁太郎と...キス、したんでしょう?」
「そ、それはっ!あ、あたしが受かったときのお祝いにって言われたことに、その、迂闊に返事しちゃって...郁太郎さん、すごく強引で...あたし...」
何でこんなこと宗佑さんに言わなきゃならないんだろう?しどろもどろに答えるあたし。こんなこと、知られたくなかったし、言いたくもなかった。あたしにとっての本当のキスは、夢の中で宗佑さんにして貰ったあのキスで十分だったんだから...やだなぁ、泣きたくなってしまう。なのに宗佑さんも何も言わなくて、沈黙が広がってしまう。
「あの、あたし、先にお風呂戴いていいですか?」
あたしは立ち上がってそう聞いた。このまま黙っているなんて辛すぎるから...
「どうぞ、僕はまだ飲んでるから...」
ここのところ晩酌もかなりの量な気がするんだけど、まだ飲むのかしら?
「あの、最近飲み過ぎじゃないですか?宗佑さん、今までそんなに飲まなかったのに...」
「まあ、ね...僕だって飲みたい時がありますよ。」
視線を外されて、あたしはその場を離れた。宗佑さんの背中が、かまわないでくれって言ってるみたいだったから...だからそのまま部屋に戻って眠った。


「おはようございます。あれ、郁太郎さんは?」
朝起きて居間に行くと布団がたたんであって、そこにもたれるようにして宗佑さんだけが座っていた。
「帰りましたよ...彼も仕事ですからね。僕もシャワーでも浴びてきます。ちょっと酒臭いかもしれないから...」
「ほんとだ...ずっと飲んでたんですか?もしかして、宗佑さん寝てないんじゃ...」
「いえ、郁太郎が帰ってから少し寝ましたけれども...日向子さんは、よく眠れましたか?」
「え?あ、はい...」
お酒のせいか少しぼーっとした視線があたしに向けられてるわけなんだけど、なんかいつもとちがう?
「そうですか、良かった...」

あたしにはほんとうに訳がわからなかったんだけれども、その夜、部屋に行くと、中から鍵がかけられるようになっていた。
「防犯のためらしいよ。宗佑が自分で取り付けてたみたいだけど?」
女将さんはそう言ってた。防犯?って...
「ちゃんと毎晩鍵閉めろってことじゃないのかい?」
「はぁ、判りました。鍵、しめます...」
なんで鍵が必要なのかな?よくわからないんだけど...


それからはしばらく郁太郎さんと二人っきりで会うこともなかった。
宗佑さんも無理強いしないし、家に来ても結局みんなでご飯食べて、宗佑さん朝までと飲んでる。だからあたしは早々に圭太くんとお布団に入ったりするし...ちゃんと鍵閉めるように言われてるからその通りにする。
でも、郁太郎さん、マメに来すぎだよ?

「よっ、日向子。」
久しぶりに大学に朝から出掛けた日、門のところで郁太郎さんが愛車にもたれて待ちかまえていた。

          

思わずこの回にこそ宗佑郁太郎の番外編欲しいですね〜
ちょっとは変化があった宗佑の態度、次回ぐらいからもう少し展開があればいいんですけど、何でここのキャラ達はのんびりしてるんでしょう?