月がほほえむから

17.鍵は外したままでいいの


「ただいま...」
真夜中の食堂にあたし達は帰ってきた。
もう女将さんも寝てしまったようだった。もう昨日になるけれども、あたしが帰ってこないのを不安がった圭太くんが、あたしを捜しに行くと言って聞かなかったそうだ。
圭太くんは何度も『もしひなこが泣いてたらもかわいそうじゃない!とうちゃんはへいきなのか?』と聞かれて、郁太郎さんから連絡を貰ってた宗佑さんは、あたしが泣いてるところを思い浮かべたそうだ。実際泣いてたんだけど...
本当に郁太郎のモノになってたらどうしようか、考えただけでも気が狂いそうになったと言ってくれた。


「じゃあ、お休みなさい。」
「あの...」
あたしはなんだか名残惜しくて...同じ屋根の下なのに、離れるのが寂しくて...
宗佑さんのジャケットの裾をぎゅってにぎった。
「もう少しだけ、一緒にいたいです...」
また困ったようにため息をついた宗佑さんは、不意にあたしの腰を引き寄せた。
「困った人ですね...これでも我慢してるんですよ。日向子さんにはもう少し覚悟が必要だし、けじめも要りますでしょう?今夜はこれで...おやすみなさい。」
そう言って、額にチュってキスされたあと離された。
「鍵は掛けておいてくださいね。気が変わって夜中に襲いに行ってしまいそうですから。」
そう言い残して、宗佑さんはあたしを部屋に押し込めてしまった。
「もう...鍵なんて、かけないんだから!」
あたしはドキドキする身体をもてあましながらお布団になだれ込み目を閉じた。

未だに信じられない...
宗佑さんもあたしのこと思ってくれてたなんて、ほんとにまだ信じられない。
ドアから飛び込んできたときの宗佑さんの必死の形相、はじめて見た。それに、あたしの身体をキレイにするとき、時々切なそうに寄せられる眉...それ以外は余裕の表情なんだけれども。
でもちゃんと言ってくれた。『郁太郎には渡せない』って、ちゃんと...
あれ?
好きって、言ってもらってない??
何の約束もしてない...ただ側にいてもいいって、それだけ...



「ひなこ〜〜〜きのうはどこいてったんだ?おそかっただろ?おれしんぱいしたんだぞ!」
朝一番、鍵のかかってない部屋のドアを開けて飛び込んできたのは圭太くんだった。あたしの布団の上に乗っかって、目に涙溜めて怒ってた。
「ん、ごめんね、圭太くん。ちゃんと圭太くんのお父さんが迎えに来てくれたから...だから、帰って来れたよ。」
「とーちゃんが?じゃあ、やくそくまもってくれたんだな!」
どんな約束をしたのかは知らないけれども、あたしは頷いた。
「よかった、ひなこがかえってきたってことは、どこにもいかないってことだよな?やった!さすがおれのとーちゃんだぜ!」
え?どこにも行かないって、宗佑さん圭太くんにそんな約束したの?

「おはよう、日向子さん。」
朝、台所に行くと珍しく宗佑さんが新聞を読みながら居間にまだ座っていた。
いつもなら仕込みで厨房に居る時間なのに。
「お、おはようございます...あの、仕込みはいいんですか?」
「昨夜は眠れなくてね、早起きしてもう済ませたよ。たまには圭太や...日向子さんと一緒に朝ご飯を食べようかと思って。」
眠れなかったって、どうしてだろう?あたしは眠れないと思ってたけれども、やっぱり色々ありすぎて疲れていたのか、朝まで一度も目を覚ますことなく寝てしまっていた。
「あのっ、だ、だったらもっと早くに起こしてくだされば、朝の用意したのに...」
「部屋、覗いたんですけれどもね、無防備な顔してよく寝てましたから。それに、日向子さん、今日はちょっと身体辛いだろうと思って。」
意味ありげに言われてはっとなる。ヤダ、昨日...そう思い出すと真っ赤になってしまった。圭太くんに不思議そうに見られたので、あたしは誤魔化すように急いでエプロンを付けると、急いでおみそ汁を作る。店用に女将さんが出汁を取ってくれてるのを少し貰って、具を入れて火にかけた。お魚はいつも厨房の朝定食用のお魚を分けて貰うので、それ以外に圭太くんの好きなオムレツを作ってあげた。今日は宗佑さんにも...あたしのオムレツはマヨネーズを入れるので、ふわっと仕上がって、まるで見かけだけはフレンチのように仕上がるのだ。サラダと、圭太くん用のヨーグルトをデザートに付けて、朝食の準備を済ませてテーブルに運んだ。
「日向子さんも、座って一緒に食べましょう。」
そう言われて、食事をはじめるんだけど、隣に座ってる圭太くんは色々話しかけてくれるんだけど、顔を上げて宗佑さんの方が見れなくて...
「ひなこ、だいじょうぶか?おれ、きょうはやくかえってくる。ひなこ、ちゃんとうちにいるか?」
「いるよ、どこにも行かない...」
そう答えると圭太くんは思いっきり特上の笑顔で『よかった』って言うと、学校へ出掛けていった。圭太くんなりにあたしのこと心配してくれてたんだって思うとすごく嬉しい。あのまま郁太郎さんのモノになっちゃってたら、あたしは圭太くん所にも帰ってこれなかったんだ。この家をでて、一番傷つくのはあたしじゃなくて圭太くんなんだもの。


「日向子さん?」
台所で洗いものをしていると宗佑さんが後ろから近づいてきた。
あたしは一瞬ビクって身体が強張るのがわかった。
なんで?今までそんなことなかったのに...宗佑さんが近づいてきてもこんなにドキドキしなかったのに...
「そんなに緊張しないでください。何もしませんから...」
「いえ、そんなつもりじゃ...」
あたしはしどろもどろになりながら手を拭いて後ろを振り向いた。
「ほんとうに...するつもりはないんですけど、そんな顔しないでください。僕にだって我慢できない時ってあるんですからね。今朝だって、鍵かけてなかったでしょう?本当にもう知りませんよ...」
いつの間にか真後ろに居た宗佑さんの胸が、振り向くと同時にあたしの顔を覆ってしまった。
「だって...今朝は圭太くんが来るだろうと思ったし...それに...」
まだ貰っていない言葉を思い出してあたしは口ごもる。
「ゆっくりでいいんですよ。日向子さんに合わせますから...でも、そんな風に挑発されたら、困るんですよ?」
「挑発って、あたし、何にもしてません!」
そんな色気があるなら、今まで苦労しなかったわよ!あたしのどこにそんなこと出来る力があるって言うんですか?
「好きな女の子が意識してくれるだけで男は有頂天になってしまう。」
え?好きな...?
「まるで、大学生にでも戻った気持ちですよ。日向子さんが若いから、余計になんだけれども...」
「あのっ、今、好きな子って...」
「はい?」
「誰のことですか?」
「.......」
思いっきりため息つかれてしまった。それも肩越しに、耳元で。
「あなた以外に居てもいいんですか?」
耳元で、すっごく近いところで、囁かれてしまった...な、なんか、腰に来るような声で。
「それは...駄目です。駄目ですけど、あたしなんですか?」
「あの、日向子さん?昨日言ったこと覚えてますよね?」
「はい、覚えてます。」
「昨日あれだけあなたの身体に触れたのに?それでも判らなかったんですか?」
「だって...」
聞いてないもの。好きだって言葉も、これからどうするのかも...
「ちゃんと聞かないと、不安なのですか?」
あたしは思いっきり頭を上下に振った。そして思いっきり期待満々の瞳で宗佑さんを見上げた。未だに引き寄せられたまんまだけれども。
「...日向子さんを、誰にも渡したくないです。たとえ郁太郎にも...あなたには、ずっとここに、圭太と僕と、母の側にいて欲しい。」
「あの、それは...お手伝い、従業員として、ですか?それとも...」
再びため息。
「僕は、いくらなんでも、従業員やお手伝いさんにこんなことはしませんよ?」
顎に手をかけられ、高く持ち上げられると、宗佑さんの唇が降りてきた。
「家族として...いずれは、僕の奥さんとしてってことですよ。けれども、司法試験に受かったばかりのあなたに無理強いするつもりはないんです。今から研修受けて、仕事に慣れて、それからでいいんです。それまでは...日向子さんが望むなら、何もしない。ここに帰って来てくれるだけでいいんだ。だから...」
お願いだから、そんな目で見ないでとお願いされてしまった。
家族、奥さん...すぐじゃなくて、もっと先なんだろうけれども、それが宗佑さんの気持ちなら嬉しい。すごく嬉しい!!
でも、そんな目って、どんな目なんだろう?
「大事にしたいんですよ。だから、鍵は掛けてください。」


それでもあたしは、毎晩部屋の鍵は掛けなかった。

          

甘くないですか?
日向子は相変わらずなんですが、宗佑さん、違う意味で可哀想かもです。
でも耐える男代表、宗佑、彼サイドが出来るまでは、耐え抜いて貰いましょうか?(笑)
さてさて、次回は今回は触れなかった郁太郎です。「郁太郎のジレンマ」読んでなくても判るようにします。