月がほほえむから

18.おかあさんになります!


「宗佑さん、あの、郁太郎さんはあれから...」
どうしても気になって、あたしは宗佑さんに聞いた。だって、あれからやっぱり一度も顔を合わさないんだもの。
「ああ、僕も気になって、郁太郎のオヤジさんに聞いたんだけれども、あの日も郁太郎帰ってこなくって...あれ以来家にもあまり帰ってこないらしいんだ。」
あれ以来...もう1ヶ月以上たつんだけれども、あたしは郁太郎さんを傷つけてしまった現実に胸を痛めていた。
宗佑さんは相変わらず優しいけれども手を出してはくれない。鍵も毎日開けてるのに...たまに、ほんとに二人っきりで、言葉に詰まったときに不意に抱きしめられたりしたことがあるけど、すぐに引き離されるし、なんだかあたしからおねだりするみたいだけど、じーっと見つめてたら、額や髪にちゅってキスして貰えたりする程度。
まるで子供扱いなんだから!あの時の、大人のキスってどうしてしてくれないのかなぁ?ってつくづく疑問。それ以上のことだってされてるって言うのに...
だけどそれ以上の悩みの種が郁太郎さんだった。嫌いじゃないから、宗佑さんの親友で、この食堂の常連さんだからこそ、こんなにも顔を見ないと不安だった。その原因があたしで、誰も何にも言わないのが、余計に責められてるみたいで...


「おい、三浦んとこの郁太郎、再婚するらしいぞ?」
「え?そいつは本当かい?」
角の源さんが来てそう話した。
「おお、けど、ありゃ、まえに郁太郎のトコに居た嫁さんだぞ。おまけに子供も居てよ。ちいさな女の子連れてたぞ?」
「ほんとかい、源さん。嘘やデマだと承知しないよ?サチさんはちょうど圭太が生まれたすぐ後に出て行っちまったんだよね。郁太郎に『愛想が尽きた』って置き手紙してさ。離婚届もさっさとだされちまって、しばらくは郁太郎もわけわかんなかったみたいで、周りのみんなは郁太郎が冷たいから、浮気して出て行っただの何だの言ってたけど、あの子は見た目と違って結構まともな子だと思ってたんだよ。郁太郎相手によく我慢してたと思うんだよ。けど、郁太郎はいくら言っても、うちにばっかり出入りしてたからねぇ」
「子どもも大きな子でさ、どうやら郁太郎の子どもらしいんだよ。目元が郁太郎そっくりでさ。」
「サチさん、意地っ張りだからねえ...」
女将さんは座り込んで聞き込んでいたけれども、あたしは思わず宗佑さんのトコに駆け寄った。
「そ、宗佑さん、い、郁太郎さんが再婚するって!」
「それは...本当ですか?」
「うん、今源さんがそう言って...前のお嫁さんが戻ってきてるって、それも子ども連れて...それで、」
「...日向子さんは、郁太郎が再婚するとしたら、ショックなのですか?」
お願いだから宗佑さん、こんな時まで落ち着いて返さないでよ...
「ち、違います!あんまり急だし、それがあたしのせいだったらって思って...」
「大丈夫ですよ。見合いや、あれから探した相手だとしたら、やけくそってことも考えられますが、サチさんが相手ならそんなことはないでしょう。けれども彼女が出て行ったのは、もう7年も前なんですけれどもね。どんな縁があったのかは判りませんが...日向子さんがそんな顔をしてはいけませんよ。」
そうだ、郁太郎さんには幸せになって欲しいんだ。宗佑さんもその気持ちは同じなんだと思う。
だから、圭太くんにも、女将さんにも、未だにあたし達の間の約束事は伝えられていない。郁太郎さんが傷ついてることは判ってるけど、それをおお広げにするつもりはない。郁太郎さんが飽きてこなくなったと思われればいいのだから。だから二人の見てるところではいつもと同じだし、居ないところでも基本的にはそんなには変わらない。
「今夜にでも、郁太郎に聞いてみますよ。」
宗佑さんはそう言っていたのに、その日の夜、郁太郎さんはサチさんと、その娘の菜月ちゃんを連れて店にやってきた。


「よお、まあ、こういうことになっちまって...」
郁太郎さんが照れてる!
側にいるサチさんは、すっごく、こう、むちゃくちゃ色っぽいって感じの女の人で、たぶんどんな男の人でもどきっとするんじゃないかな?態度は、もう、開き直った女の人って感じで...すっごく気が強そうに見えた。まあ、側にいる郁太郎さんが照れてしまってどうしようもないからなんだけれども...その横にちょこんと座ってる女の子はこれまたしっかりしてる風だった。受け答えも優等生で、まだ小学生じゃない風には見えない。要するにかわいげが無いタイプなんだけれども、そんなとこが、まるで昔のあたしみたいに見えた。
聞けば母子家庭として今まで父親を知らされずに育ってきたらしい。父親はやっぱり郁太郎さんで、本人も最近知ったらしく、思いっきり狼狽えてた。
「でも、それって...」
椎奈さんが選んだ道と同じだよねって言いそうになって、宗佑さんが側で苦笑いしてた。それだけでもサチさんの苦労が伺える。なのにサチさんは
「どうしてもって、言うんで戻ってきてあげたんです。」
そう言って座ってる姿は自信に溢れていた。横でひょこひょこしてる郁太郎さんに比べてびしっとしてるんだ...
「いや、まあ、あれからサチと再会して、子供が居るって知らされて...どう見てもオレの子だろ?で、まあ、オレもサチしか居ねえなって、やっときづいたわけで...それで、その....今まで迷惑かけてすまなかったな。」
サチさんに睨まれて頭を下げる。あの郁太郎さんが完全に主導権握られて、でも嬉しそうだったので、あたしもほっとした。
サチさんって、初めてあったけど、すごいや...
一人で子供産んで、一人で育てたひと。出来たときに、郁太郎さんに言っても喜ばれないと思ってたらしい。当時、郁太郎さんは子どもを欲しがってなくて、別れる前に圭太くんが生まれて、そっちばっかり気にしてたからって...
あたしならどうだっただろう?椎奈さんもすごいなぁって思ったけれども、また違うものね。だって、工藤さんは椎奈さんのこと思ってたのに勘違いして姿を隠した彼女を必死で捜し回ったらしいんだけど、郁太郎さんは、出来てるの知らないまま愛想尽かされた時に、言い出されて素直に離婚認めて、7年もの間ほったらかしてたって言うんだもの。
ひどすぎるよ、郁太郎さん...
そう思ったけれども、サチさんに対する態度、菜月ちゃんを可愛がる様子を見たら、もう何にも言えなかった。
すでに入籍認知は済ませており、今日から同居して、来月には挙式して新婚旅行に行くそうだ。それで4月の菜月ちゃんの入学式には、二人揃って出席するらしい。
「なつきちゃん?いくたろーのこどもなの?」
「おお、圭太、菜月は、4月から小学校に行くんだ。頼むな?」
「おお!まかしとけ!なつきちゃん、わからないことがあったらおれにきいたらいいからね?」
「パパ、あたし一人でもだいじょうぶよ。ひらかなも全部よめるし書けるし。計算だってほとんど出来るわ。そうしないとママと二人で生活できなかったんだもの。」
菜月ちゃんの言葉を聞いてあたしは思わず吹き出しそうになった。
ほんとうに、あたしと同じだ。
「菜月ちゃん、その調子でお母さんとお父さんのこと助けてあげてね。」
菜月ちゃんは自信たっぷりにもちろんと答えた。
圭太くんは、女の子は守るものだって思ってたから、菜月ちゃんの言動には戸惑ったみたいだけど、あれは菜月ちゃんなりの虚勢の張り方なんだよね。今まで二人でやって来たから、精一杯なんだと思う。その気持ちがあたしには痛いほどよくわかるし...
「だから、おまえらもせっかく、くっついたんだから、さっさと一緒になっちまえよ。」
「え?」
目を丸くしてる、圭太くんと女将さん...
「宗佑、おまえ...」
女将さんが宗佑さんに詰め寄る。
「日向子ちゃんに手出したのかい?」
「はい、いえ...いや、それは...まあ...」
「あれ?おまえまだ言ってなかったの?あれから1月はたつんだぞ?」
「だから...郁太郎、ややこしくなるから...頼むから黙っててくれ...」
「ほんとなのかい?日向子ちゃん?」
女将さんは追撃の手を緩めない。
「あ、はい...そのう...」
「宗佑...おまえ、よくやったね!!!かあさんは...嬉しいよ...前回椎奈ちゃんで失敗したから、口出しせずにいたけどさ、日向子ちゃんとだなんて...年は、まあ、かなり離れてるけど、こんないい子居ないからね!日向子ちゃん、ありがとう、ホントにありがとう!」
女将さんに手を握られるんだけど、この場合、あたしが宗佑さんに片思いしてたんだけど...いいのかな?
「ひなこ...」
訳のわからない顔をしてるのは圭太くん一人で...
「圭太くん、あのね、えっと...」
なんて言えばいいんだろう?『圭太くんのお母さんになる』っていうのはもっと先の気がするし、取りあえずは今まで通りなわけだし...
「圭太、日向子がおまえのかーちゃんになってくれるってさ。本物のかーちゃんにだ。」
「郁太郎っ!」
また郁太郎さんがちゃちゃを入れる。宗佑さんが困り果てた顔で頭を抱えてる反対側でサチさんがため息をついていた。
「ほんものの?じゃあ、さんかんびに、ひなこくるのか?」
「えっ?う、うん。」
「うんどうかいも、おんがくかいも、ひなこがみにきてくれるのか?」
「そうだよ。」
圭太くん、今まで女将さんと宗佑さんが交代で行ってたのに...やっぱり、『おかあさん』に来て欲しかったんだ?ずっと我慢してたんだ?
「...かーちゃんて、よんでも、いいの?」
「えっと、それは...」
「それはもうちょっと先な。」
宗佑さんがようやく助け船を出してくれた。
何か言いたそうな郁太郎さんはサチさんに思いっきり耳を引っ張られてる最中だった。
「日向子さんにちゃんとウエディングドレス着せて、お嫁さんになって貰ってからだ。」
「とーちゃんのおよめさん...ひなこ、とーちゃんとけっこんするのか?」
「えっと...」
「ああ、日向子さんが、いいと言ってくれたらね。」
「いつ?いつけっこんするの?いくたろーは3月にけっこんするんだろ?だったっらひなこととーちゃんはいつ?」
「圭太くん...」
なんて答えればいい?あたしは4月から修習にはいるし、そうなったら、ここにまともに帰ってくるのもままならなくなるのに...それから検察か弁護士か選択して、それから就職して、それから...
「郁太郎、あんたがいらないこと言うから、日向子さん達困ってるでしょう?日向子さんまだ学生で、考えれば判るじゃない?なのに圭太くんに期待もたせるようなこと言って、事情をよく知らないあたしにだって困らせてるってわかるわよ。ほんとに...ごめんなさい、宗佑さん、日向子さん、この調子でずっと迷惑かけてたのね。」
頭を下げたあとサチさんは郁太郎さんの耳をつまんだまま立ち上がった。
これからはちゃんと言い聞かせますからと言って。
「いてて、サチ、何すんだよっ、離せ、痛いだろっ!」
「うるさい、余計なこと言って...もう帰りましょう。女将さん、久しぶりなのに、すみません、これ以上この人が余計なこと言わないうちに退散します。今日は取りあえず挨拶だけでもと思ってましたので。」
郁太郎さんの叫び声が聞こえるけどそれは、必死でサチさんに詫びてる物だった。
郁太郎さんがかなわないって...ある意味、すごいです、サチさん!
「あ、相変わらずだなぁ...サチさんは。郁太郎相手に怯まないのってあの人ぐらいだったけど、やっぱり彼女じゃないと、郁太郎の操縦は無理のようですね。」
「ああ、ホントにあの子が出て行ったときには信じられなかったけどね。まあ、元さやでよかったんじゃないかい?可愛い子だっていたんだから。それにしても椎奈ちゃんみたいなことして、サチさんも相変わらずの意地っ張りだったみたいだね。」
女将さんがため息つく側で、圭太くんが泣きそうな顔して待っていた。
「圭太、日向子さんは今から大学を卒業して、修習に行って、仕事を始めるんだ。それまで待ってあげないと可哀想だろう?だから、もうしばらくは待ってあげないといけないよ?」
「じゃあ、ずっとさきじゃないか!さんかんびはどうなの?ねえ、うんどうかいは?」
「圭太くん、あたしちゃんと行くから...ね?」
「でもかーちゃんじゃないんだろ?」
「それは...」
「圭太、我が儘言うんじゃない。日向子さんが困るだろ?」
「だって!!」
宗佑さんに怒鳴られて泣き出しそうになってる圭太くんを見てて、あたしは...

「わかったわ!大学を卒業したら、すぐに圭太くんのお母さんになるからっ!」

あたし、思わずそう叫んじゃった。


          

本編にサチさん登場です。
いらんこと言いの郁太郎…おもわずサチさんに叱られてます。
この勢いで郁太郎と結婚した彼女だったんですが、やっぱ別れを決意したときは妊娠初期で不安だったのかな?
読者様から指摘をうけて、4月に入学なら7年前ではないかとのこと、その通りです(汗)出て行ったのは圭太が生まれた直後なので...
さて次回は??むふふ〜