月がほほえむから
7.あたしじゃだめなの?
それ以来、何度か郁太郎さんは誘いに来る。それも圭太くん込みで、あたしがついて行かなきゃ行けない状態に持って行くんだからなかなかの策士だと思う。
「行っといで、郁太郎はいい子だよ。」
女将さんまで大賛成らしい...もしかしてあたしがずっとここにいたら迷惑なんだろうか?圭太くんの面倒も、最近ほとんどあたしが見てるから、未だに宗佑さんの奥さんと間違えられてしまうのが原因なのかなぁ...
宗佑さんは相変わらず何も言わない。食事の後、お茶を飲んだりする時に二人っきりになったりもするけど、前のように色々話したりが出来ない。だって、遊園地に行った後に『付き合う気がないから断って欲しい』って頼んだら、『それは日向子さんから言いなさい』って素っ気なく言われてしまった。困ってるから言ってるのに...断っても通用しないから、なのに...出来れば宗佑さんの口から断って欲しかったのに...
「ひなこ〜これ、プリントもらってきたぞ。」
2月に入ってしばらくした保育園のお迎えの時に、圭太くんが見せてくれたのは小学校への就学の案内だった。2月の末、平日の午後1時からと記されていた。
「そっか、圭太くん4月から小学校だもんね。」
説明会があるんだ...
「ひなこ、来てくれるのか?」
そのプリントを指さして圭太くんが聞いてくる。
いくらなんでもそこまであたしが行っていいものなんだろうか?あたしはあくまでも住み込みの従業員みたいなもので、そこに出席するのは入学する子供達の保護者で、ほとんどが母親...
「きっと女将さんが行ってくれるよ。」
時間帯を見ると1時から...一番忙しい時に抜けなきゃならないだろうけど、可愛い孫のためだもんね。あたしだって手伝うし、ね。
「...やだ。ひなこがいいっ!」
「圭太くん?」
「ひなこきてよっ!ぼくちゃんとかしこくしてるからっ!ひなこがきてよぉ...」
半泣きになった圭太くんがあたしの足もとにすがってくる。こんな目をして見上げられたら参っちゃうよ。
「圭太くん...わかった、から。帰ってお父さんに聞いてみよう?こんな道ばたで泣いてるの恥ずかしいよ?もうすぐ郁太郎さんちだから、泣いてるとこ見られたらまた馬鹿にされちゃうよ?」
興奮するといつもの<おれ>が<ぼく>に変わる圭太くん。郁太郎さんのマネをしてるのか、それとも対抗してるのか言葉遣いはちょっと荒い...普段はすごく丁寧に話す子だったんだって、保育所の先生が言ってた。そうだよね、宗佑さんもすごく言葉遣い丁寧だしね。
「むりだよ...とーちゃんさいきんひなこにたのむっていうとすぐダメだっていうんだもん。」
そっか...やっぱりね。
ここのとこ圭太くんの様子がおかしいと思ってたんだ。いっしょにお風呂に入ろうって言っても遠慮するし、一緒に寝たいって言ってたのに夜になると泣きそうな顔してやっぱりいいなんて言ってくるんだから。宗佑さんが止めてたんだね?そんなにあたしに構われるのが嫌なら追い出せばいいのに、なんでそんな子供にまで...
「わかった、あたしが頼んでみる。」
「...という訳で、あたしが行ってもいいですか?」
女将さんと宗佑さんを前にプリントを突きつけて、圭太くんが寝た後で頼んでみた。
「そりゃあね、その時間帯はあたしも宗佑も出にくいから助かるけど...日向子ちゃんにそこまで甘えていいものかねぇ?」
「でも、説明聞いて、小学校の準備しなきゃいけないんですよ?買い物したり名前書いたり、袋とかも作らなきゃいけないそうです。」
「...頼むよ、母さんが行ってくれないか?」
「そりゃ、まあ、行ってもいいけどさ...あたしゃ今更子供の物なんて、何買っていいかわからないよ。せめて日向子ちゃんついて来とくれよ。」
「二人も出られたら店閉めなきゃならなくなるだろ?」
女将さんの視線がちらちらとあたしに行って欲しそうに投げられてくる。
「もし母さんが行かないなら僕が行きますよ。」
「あんたが行ったら厨房どうするんだよ??」
そんなにあたしに行かせたくないのかな?あたしは別に気にしないのに...
ここにいる限り、あたしは圭太くんのお母さん代わりでも構わないのになぁ。そりゃあ、ずっとここにいる訳じゃないから、宗佑さんが再婚して他の人が圭太くんの母親にならない限りは...
あ、そうか...居るんだ。たぶん、居るから、あたしなんかが顔出したらややこしくなるから、だから...
やだ、考えてもなかった。そ、それなら早く言ってくれたらいいのに...あたしは急にふらふらと揺れる頭と身体を押さえつけてゆっくりと落ち着いた振りをして
「あのっ、もし宗佑さんに再婚予定されてる方がいらっしゃるなら、その方に頼まれたらどうですか?」
「は?」
宗佑さんが止まった。え?違うの??
「日向子さん...どこからそんな発想が?居ませんよそんな人。」
宗佑さんはあきれ顔だけど、女将さんはその後も『いるのかい??』と食い下がってた。そうだよね、宗佑さんは滅多に出歩いたりしないし、月に一回だけの休みだって家にいるし...デートしたり、出会ったりする暇ないよね。やだっ、あたし大きな勘違い??でもなんだかその勘違いが嬉しかった。
だってそういうわけで嫌がられてるんじゃないんだもの。
「す、すみません。あたしが行くと都合が悪いのなら、そうなんじゃないかと思って。」
「困るのは日向子さんでしょう?迎えに行くだけならまだしも、あんなところに行ったら、誤解されてしまうでしょう。日向子さんはまだ大学生だし、もし圭太の母親だと勘違いされたら...もし、郁太郎と、そうなると同じ校区内だからややこしくなるでしょう?」
何でそこで郁太郎さんが出てくるのよ?
「それ、関係ないじゃないですか?あたしは郁太郎さんとはそんなつもりないですっ!」
「けど、郁太郎はその気だよ。日向子さんもよく出掛けてるじゃないですか...」
「そんな、あれは...」
怒りに燃えるあたしに対して宗佑さんはいつも以上に落ち着いた声でそう言った。
まただ、最近最後はいつも郁太郎って、仲がいいのもわかるけど、あたしはそんな気はないって言ってるのに...なのに毎回圭太くんを人質に連れて行かれてるだけなんだからね!出掛けてるのだって不可抗力で、そりゃ楽しいけど、楽しいけど、どうせなら宗佑さんが連れて行ってくれたら圭太くんも楽しいのに...
宗佑さんだったらって、何度そう思ったかしれない。その方が圭太くんだって喜ぶはずなんだから!
「わかりました。説明会には女将さん行ってあげてもらえますか?買い物とか、準備はあたし手伝いますから。それでいいですか?宗佑さん。」
少々きつめの口調で宗佑さんに詰め寄った。あたしがムキになってもしょうがないんだけど、あたしには何も出来ない、しちゃ迷惑だっていうのが嫌だった。
「それなら...」
「じゃあ、3月の最初の土曜か日曜、宗佑さんおやすみとってくださいね。お買い物に行きますから!」
「え、僕も行くんですか?」
「勝手にあたしがお金使うわけにもいかないでしょう?荷物多いのに車もいりますよ。女将さん運転できないですし、重い荷物持たせられないでしょ?」
「...わかりました。」
渋々と言った表情で承諾する宗佑さんだった。
「ひなこ〜〜はやく!ランドセル〜〜」
圭太くんは絶好調だった。何度か郁太郎さんと一緒には出かけてたけど、こんなにもはしゃいでなかった気がする。もしかして、圭太くんってあたしを守ってるつもりだったのかな?だって郁太郎さんと一緒の時は必ず間に割って入ってくるし、郁太郎さんがあたしに近づこうとするとさっと手を引っ張って走り出すし...今日は手も繋がずに一人走り回ってる。
「これなんかどうかな?すごく軽いし、雨にも強そう...」
ランドセルは出来るだけ軽いものがいいかなと選んでみた。重くて苦労した覚えがあったもの...
「それでいいですよ。今、圭太のことを一番わかってるのは日向子さんですからね。」
「そうだ、傘とカッパもいりますよね?それから...入学式の服装はどうします?レンタルか、親戚なんかがあればいいんですけどね...」
「ああ、姉貴のところに聞いてみるよ。男の子がいるから。あと大きいのは勉強机かな?」
宗佑さんはきょろきょろと見回すけどもうそのあたりに圭太くんは居ない。
「圭太くん、もう机の売り場にいますよ。」
あたしが指さす方ではすでに嬉しそうに机の前に座ってる圭太くんが居た。
「あの座ってるやつ買わなきゃならないんだろうな...」
「たぶん、そうなるでしょうね。」
二人で顔を見合わせて苦笑する。意外なところにこだわりを見せる圭太くんなのだ。
まるで自分が圭太くんの母親にでもなったような錯覚を起こす時間だった。郁太郎さんがいってたように家族に見えるのだろう。実際自分でも家族のような気がするもの。暖かくってくすぐったい感覚。でも、宗佑さんからするとこんなの迷惑でしかないんだろうか?あたしなんかじゃ、椎奈さんのように家族になろうなんて思えないんだろうな...
「これで全部だと思いますよ。あとはこの生地で袋を縫えばいいんですよね?そのくらいならあたしにも出来ますから。女将さんミシンあるって言ってたし。」
「へへへ...ひなこがつくってくれるのか?ひこうきのだぞ、わすれるなよ!」
見本で飾ってあったひこうきのアップリケが気に入ったらしくって、その材料まで買い込んだ。
「じゃ、次はこっち。」
また前回と同じパターンで宗佑さんがあたし達を引っ張る。間に圭太くんが居るから振り切れなくてそのままついて行く。
「日向子さん、スーツとかワンピースとか持ってないでしょう?いつも妻のタンスのを着てるけれどもあれはずいぶんとデザインも古いでしょうから、一つちゃんとしたの持っていなさい。」
「え?そんなことないです!奥様のお洋服はどれも仕立てがいいから全然古くなんてないです!それにそんな着ていくところなんてないですし...」
「いい加減、圭太抜きで郁太郎に付き合ってやってください。あいつはいいヤツなんだ...ほら、これなんか日向子さんによく似合いますよ。よく妻の洋服を選ぶのに付き合わされたんですよ。これ、着てみませんか?」
差し出されたのは明るい色したふわふわのワンピースにきちっとしたジャケットのセット。上下一緒にも着れるし、別々にも着れそうだ。
だけど...
どうしてこの人に他の男とのデートの服を選んで買ってもらわなきゃいけないの?
「日向子さん?」
「嫌です...」
「どうしたんですか?急に...」
あたしはなぜか出始めた涙に自分でも驚いていた。
「あたし、それを着るなら、圭太くんの卒園式や入学式に出たいです。」
「日向子さん、それは前にも言った通り、」
「あたしじゃ家族になれませんか?椎奈さんのように...家族に迎えようって、だめですか?」
あたし、気がついたんだ。郁太郎さんが嫌いなんじゃない。むしろ好きな方、口が悪くて強引だけど優しいし、おもしろいし、あたしのこともすごく大切にしてくれる。だけど、それ以上に、あたしは圭太くんが好き。可愛くて、ずっとこのまま一緒にいたい。圭太くんだけじゃなくて、女将さんや宗佑さんの側に居たいんだ。郁太郎さんよりも、宗佑さんに居て欲しいんだ...
そう、この穏やかで優しくて、だけど最近すごく冷たいこの人に。
「だめです。」
「そんなっ!」
「日向子さんは、いつかはうちを出て行く人ですから...」
「で、出て行かないって言ったら?」
あたしは宗佑さんを睨むようにして見つめる。
「それはあり得ないでしょう。」
一瞬、宗佑さんの表情がすごく冷たいものに見えた。
ああ、拒否されたんだ...
「さあ、選んでください。いつも圭太によくしてくれてるお礼もかねてなんですから。」
「いりません...」
「それは困ります。母ともそう相談してきたんですから。」
「お礼が欲しくってしてるんじゃありません!」
いらない!宗佑さんがあたしに、郁太郎さんとデートするための服を選ぶなんて...そんなのいらない!
あたしは振り向くと駆けだした。後ろから圭太くんの呼ぶ声も聞こえたけど、走った。
はじめて自分の気持ちに気がついて、一瞬にして受け入れてもらえないと知らされた。
走って走って、雑踏の中に紛れ込む。あたしが男の人好きになるなんて...
学生時代、先生に憧れたことなんかはあったけど、子供っぽい同級生達はそんな対象にもならなかった。生きていくことを、親の愛情を、使われるお金を、当たり前のように受け止めて甘えてるそんな彼らは対象じゃなかったから。あたしのことを誘うような人もいなかったけど、誘われても出掛ける余裕はあたしにはなかった。
郁太郎さんに何度か連れ出されて、デートってこんなものなのかなって思えた。いつも圭太くんが居たけど、郁太郎さんは、あたしをちゃんとエスコートしてくれてたし、女の子扱いしてもらってるのもわかる。
だけど、こんな気持ちは初めてだった。
一緒に住んでるから、一緒にいるの当たり前に思ってたけど、宗佑さんの存在がこんなに大きくなってたなんて...
なのに、その人にあんな目で見られたら、惨めすぎるよ。
邪魔なら邪魔って言ってくれればよかった。
早いとこ出て行ってくれって言ってくれればいいのに?
あたしなんか必要ないって言えばいいじゃない?
子供だし、綺麗じゃないし、亡くなった奥さんにも、椎奈さんにもかなうとこなんてどこにもない。
だけど、それでも、側にいたいって思ったのに!!
あたしは夜の街をひたすら歩き回っていた。
日向子気付いてしまった自分の気持ち。だけど全くと言っていいほど無反応な宗佑さん。さてさて今後の展開は??