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光の巫女

旅に出て三日目の夜、それは突然襲ってきた。

「クォーーッ!クォーーッ!」

夜半にトルバが二度大きく鳴くと、バサッと羽ばたき枝を鳴らして樹の上に移動する音が聞こえた。

「ミーア、起きて!」

眠りの中いきなり、耳元でジンの小さな囁き声で起こされてミーアは飛び起きた。

「なに?どうしたの?」

ミーアはジンの声にあわせて小さな声で聞き返す。寝起きはいいほうじゃないけど、一瞬にして目が覚めた。けれど急に目覚めたせいか異常なほど動悸が激しい。

「ラビオの群だ。火が消えかけてるからかなり近づいて来てる。俺は外に出るが、ミーアはここを出るんじゃないよ?」

ジンは急ぎ胸当てをつけて武装しながら剣を取るとそう言い残してテントの外にでる。
夜行性のラビオは獰猛で肉食だ。4〜6匹ぐらいで群れをつくって行動する。上あごの糸切り歯が大きく発達していて、それを武器に襲い掛かってくる。テントは細い針金が縫いこんであるので、獣達の牙や爪では易々とは破れないように出来ているのでとりあえず中にいれば安全なのだが、そのままだと外にいるトルバが危ない。とりあえず樹の上に逃げてるようだが、ラビオはジャンプ力を誇る獣だ。下手をすれば食われてしまう。

「ギャウッ!」

ずさっという剣の払われる音と共に獣の断末魔の声が聞こえて、テントの横あたりにその身体が落ちてきたのがわかる。
さすがに外の様子がわからなくてミーアも不安になる。そっと、テントの入り口の隙間から外を覗く。
今宵は月夜、その薄明かりの中流れるように剣を振るうジンのシルエットが見える。焚き木の残り火も時たまゆらゆらとジンの背中を照らす。襲い掛かってくるラビオのイエローグリーンの目が光っていた。
 ミーアも幼い頃はジン達の剣の修行をよく見ていたが、成長と共にそれは激しいものとなり、ここ数年は覗いたこともなかった。よく夕餉の時に父ガリュウが手放しで褒めている時があった。『ジンの剣の筋はいい、無駄のない綺麗な動きだ』と。

(ほんとうに綺麗...)

またいくつかの塊が地面に落ちていく。

「あっ!」

同時に飛び掛って来た片方のラビオの長い牙がジンの腕をかすめて行く。それもすぐ様薙ぎ払われて地に落ちる。ミーアの声に気がついたのかちらりとテントの方を向いたジンの顔が残り火の明かりに照らされて闇の中に浮かんだ。

(え...あれが、ジン...?)

見たことのない目をした男の顔があった。長めの前髪がさらりと前に落ちて影を作る。たった今まで命のやり取りをしていた戦士の目は冷たく、ギラリと光っていた。頬には返り血を浴びて紅く染まっている。

「ミーア、もう終わったよ。」

そう言った時のジンの目はいつもと同じに戻っていた。だけど...その違和感はぬぐえない。

「なんだ見てたのか?眠れなくなったって知らねえぞ。悪いけど水筒の水とってくれるか?」

ジンは『かけて』と血まみれの手を出して待っていた。ミーアが水筒の水をちょろちょろと落とすと素早くその手と顔の血を流した。

「腕、怪我したの?」
「ん?あぁ、かすっただけだ。舐めときゃ治るだろ?」

ジンは洗ったあとも滲み出すその血をぺろりと舐めた。

「怖かったか?けど一昨日みたいにして寝てやる訳にはいかないしなぁ。」

にやりと笑っているその顔もミーアには少し別の人のように思えた。

「血まみれだし、殺生した後の男には近づかない方がいいしな。判るか?俺、今めちゃめちゃ興奮してる。」
「えっ?」
「俺は外で火の番してるから、襲われたくなかったら出てくんなよ。」

そう言い残すとジンは背を向けて、火の前にどっかりと腰を下ろした。
ミーアは瞳をまん丸に見開いて、『ジンのばか!』と言い残してテントの中に消えた。

(ちょっと脅しすぎたかな?)
興奮してるのは確かだから、今夜はこのままここにこうしてるのが一番いい。ジンは火を絶やさないように気をつけながら夜をあかした。
樹の上のトルバも朝まで下には降りてこなかった。



「あぁ〜、水浴びしてぇ!」
「あたしも!それと洗濯もしたい!」
「俺なんかくさくねえ?」
「う〜〜〜、ジン、生臭いよぉ!それあいつらの血の臭い?でももう3日、お風呂に入ってないよ?何とかしてよ〜!うら若き乙女にお風呂も入れないような強行軍させないで!」

さすがに三晩まともに寝てないと昼間の強行軍も疲れる。体力に自信のあるジンでもバテ始めている。
先は急がねばならない旅だが、ここでバテてたら後が続かない。けれどジンにとってテントでは辛いものがある。手を伸ばせばすぐに手が届くところで、柔らかな寝息を毎晩聞かされていては堪ったものじゃない。おまけに無防備にもこっちに擦り寄ってきたりする。それが惚れた女で手が出せないと来ている。眠ってしまえばいいのだが、意識しだすとよけいに目がさえてしまうのだ。
そんな矢先に目の前に猟師小屋が見えた。

「随分と昔の地図だけど、来て見るもんだな。」

ジンが手にした20年前の地図には猟師小屋や、炭焼き小屋の位置が小さく記されていたのだ。すぐ近くに川もあるから今夜の宿にはもってこいだ。
まだ日は高かったが、二人手分けして今夜の宿の準備を始めた。
「ミーア、俺先に水浴びしていい?この臭いたまんねえよ。」
「ん、いいよ、あたしは後で。水浴びする前に洗濯するから、ジンの服も出しといて。一緒に洗ったげるよ。」
「助かるよ。じゃあ、お先に!」

ジンの水浴びしている間に、整理がてら荷物を小屋に広げて確認する。
わらも少し置いてあるから、毛布の下に引けばベッドのようにもなりそうだ。久しぶりにといってもまだ4日振りだが、柔らかい敷物の上で休めるのだ。
食事も干し肉をゆでて、野菜も少し入れてスープにしようかと考えていた。毎日毎食、干し肉と乾パン、チーズに干したプラムだとかを水で流し込むようなのばかりでいい加減飽きてきている。暖かいものが食べたいのだ。この小屋には、小さな鍋までもがおいてあった。猟師小屋の真ん中にある囲炉裏に火をつける。最近使ったのかすぐに火はついて、さっそくその鍋に水を張り上から吊るして火にかける。
材料を用意したり、寝床を用意したり...

(あれ?ジンったら、着替え持って行ってないじゃない!もう、昔っから着替え持ってかないんだから!)
ミーアの口元に笑いがこみ上げてくる。昨夜ジンのことを怖いと思ってたのが嘘のように思える。
『着替え忘れた〜〜』そういって部屋の中をタオル1枚で走り回る彼の少年時代の姿が思い出されるからだ。
(しょうがない、もっていってやるか。)
鼻歌交じりで川へと向かうのであった。

「ジン、着替え...きゃっ!」

川に行くと案の定布切れ1枚腰に巻いて、きょろきょろと着替えを捜す姿が見えた。

(うわっ、は、裸だ!)

今まで布越しでその成長は判ってはいても、頭の中ではずっと少年のままだったジンの逞しい筋肉をもった、男の身体が視界に飛び込んでくる。細身だが鋼のように鍛え上げられている。3歳のときから毎日鍛錬してきたのだから生半可なものではない。まだ陽も高く、弾かれた水がきらきらと眩しいぐらいだった。

「あ、俺やっぱり忘れてた?」
「あ、あいかわらず子供みたいなんだからっ!こ、ここに置いておくから!」

ミーアの声が妙に上ずる。まともに見えてしまうので、背中を向けているのにジンが真後ろまで近づいて来てるのがわかる。なんだかニヤニヤしてるのようだ。

「ミーアも今から水浴びするんだろ?見張り、いる?」
「い、いらない!あ、後で入るから...は、早く着なさいよ!」
「もう着たよ♪」

ほっとして振り向くと着てるのは下だけだった。

「上もちゃんと着なさい!」

ジンは暑いのにとかぶつぶつ言いながら脱いだ服をどさっとミーアに渡した。

「はい、これ俺の着てたやつ。ほんとに洗ってくれるの?」
「ついでだからね、か、家族じゃないの!だからね、」
「ふうん。じゃあ小屋の方にいるけど...家族の裸ぐらいで赤くなってどうするんデスカ?」
「ち、ちがうー!もうっ、邪魔だからあっちいってて!」

ジンがからかいの言葉をわざと耳元で口にする。いつもこうやってからかわれるのだ。

いつもの二人といえばいつもの二人。

はいはいと茶化しながらジンは小屋の方へと帰っていく。ミーアはへなへなと地面に座り込む。

(なんで、こんなに緊張しちゃうのよぉ!そりゃ、ジンの声って良い声してると思うわよ、いつの間にか低い声になっちゃって!でも私にはナルセス様が...私はナルセス様が好きで...でも...。もし、私が光の巫女になってしまえば...)

ふとミーアの心に浮かんだ疑問。自分が光の巫女候補だからナルセスは待っていてくれるのだろうか?
ではジンは?からかってばっかりだけど、自分が光の巫女になるまでだけなのか?


その夜、久しぶりの屋根付1戸建てで、寝床も柔らかく、二人ぐっすりと眠れるはずだった。
珍しく先にジンの寝息が聞こえてきた。何日もまともに寝てなかったのだ。
今晩はいつも悩まされるミーアの寝息も聞こえてこないし、随分と位置的に離れてるので、すぐさま疲れと共に睡魔が襲ってきたのだ。

(何であたしが寝れないのよ〜〜〜!)
色々と考えていると、なぜか寝付けないミーアであった。
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